2019年8月30日金曜日

県道287号線の風景~その4

旧国道191号線の豊原エリアの風景。

現在の写真を並べると何の変哲もなく記憶も蘇らないので少しだけ前の写真を並べてみた。

2007年05月21日撮影
上の写真のポイントは、「そば焼酎 雲海」の看板だ。
昭和40年代まで遡ると右手に「月星マーク」があったのだがなかなかそんな写真にお目にかかれない。


2014年12月12日撮影-1
上の写真は「久原山の稜線」を背景にしたかったのだが、今見ると吉村歯科医院の案内看板が貴重だ。



2014年12月12日撮影-2
この写真は結構お気に入りで、昭和中期まで開業されていた白藤歯科医院の入り口の赤レンガ塀と、左手の黒瓦の土塀がこの通りの特色を醸し出している。
背景は鉄割山の稜線。


2014年12月12日撮影-3
長門三隅駅前の思い出多い本屋さん。
すでに営業はされていない時の写真だが今は建屋も残っていない。
隣の赤レンガ塀が歯科医院だった。


2014年12月12日撮影-4
 長門三隅駅前バス停の風景だがここは三隅郵便局前でもある。いつの間にか自販機も変わっていた。



2019年08月27日撮影
現在の県道287号線の様子を1枚だけ残す。
最初に書いたように久原山の北側の稜線が背景となっているが、この道から久原山が正面に見えることになかなか気付かない。

久原山は香月泰男画伯の最も愛した地球の一部だ。(生家の裏山)このことに関してはいずれじっくりと書き残す。

2019年8月29日木曜日

増水した三隅川

秋雨前線?による大雨の警戒レベルが8/28に「3」に達した長門市。

小波橋辺りの様子を残しておこうと思い、写真に収めた。

まずは午前中の様子。
2019年08月28日撮影-1

2019年08月28日撮影-2

2019年08月28日撮影-3


そして午後の様子。
2019年08月28日撮影-4

2019年08月28日撮影-5

2019年08月28日撮影-6
夕方になってもまだまだ増水しそうなほど降っていた。

そして今朝(8/29)の様子
2019年08月29日撮影-1

2019年08月29日撮影-2
8/29・・・大雨の警戒レベル「4」となり「避難勧告」が発令された。

昨日と川の色が全く違ってきている。
上地区は大丈夫か?

災害や農作物の被害などが無ければよいが・・・。
これほど増水した光景は、2009年の水害時ほどひどくはないが久々に見た。

2019年08月29日撮影-3
山の谷(浴?)から流れ出る土砂混じりの排水と県道筋から集水された排水の違い。地形はこのようにして変わっていく。

2019年8月28日水曜日

朝靄の桂木山

大水峠トンネルの秋芳側の出口から見える桂木山は日々その景色を変えてくる。
秋芳の町は厚東川や豊富な水系のおかげで朝モヤや朝霧がよく見られる。
写真ではわかりづらいが「雲」と「モヤ」の隙間から時折姿を見せる山頂風景は神々しく感じられ、北辰妙見の信仰も満更では無いように思えてくる。

2019年08月26日撮影-1

2019年08月26日撮影-2
こんな日にも登りたい、行きたいという思いが湧き上がってくる。
自分にとっての山岳信仰の顕れかもしれない。



2019年08月26日撮影-3
この日の大水峠トンネルは三隅側は一切モヤは無く晴れ渡っており、秋芳側に出た途端に上の写真の様子であった。

天井山と権現山の尾根の連亘はこのように天候も変えてくる高さなのだろう。

2019年8月27日火曜日

県道287号線の風景~その3

三隅エリアの旧国道191号(県道287号)の東端に位置する土手エリア(現、中村地区)。

土手エリアは行政・教育施設や商業施設の集まった大津郡三隅町の中心地として栄えてきた。

2019年08月26日撮影-1
右手に役場の建屋が無いことが少し寂しくもある。



2019年08月26日撮影-2

2019年08月26日撮影-3



下の2枚の写真は県道287号ではなく土手の旧道沿いの風景。
2019年08月26日撮影-4
右手に三隅町役場の建物があると地元民はすぐに場所が限定できる風景。解体されて2年以上が経過した。



2019年08月26日撮影-5
三隅郵便局と電器屋さんが並んでいた風景が変わってしまった。
この旧道沿いの右手(三隅川の土手沿い)に古くは旅館があった。

明倫小学校や三隅中学校があるこのエリアを中心に通学路が東西に分かれる。つまり慣れ親しんだ思い出の風景が上地区と下地区で違ってくるわけだ。
しかしこの土手地区だけは住民全体の共通の風景として残っていくであろう。

2019年8月26日月曜日

県道287号線の風景~その2

昨日の続きで旧三隅町の最西端の沢江へと入っていく。

2019年07月27日撮影-1
沢江郵便局の看板が見える風景はかなり馴染んできたが、過去に道路沿いにあった郵便局の位置が思い出せない。同じ場所だったか?記憶がどんどん薄れてきた。



2019年07月27日撮影-2
沢江バス停。



2019年07月27日撮影-3
「臨時停留所」という表示がある。以前は逆方向のバス停の真前に停まっていた。近い将来に正式なバス停ができるのかもしれない。



2019年07月27日撮影-4
沢江の旧国道筋で仙崎湾に面した最も印象深い場所。



2019年07月27日撮影-5
沢江踏切は西の砦のような位置にある。塩害に耐えてよく守っていると思う。



2019年07月27日撮影-6
旧長門市との境界辺り。このカーブを曲がったところが沢江踏切だ。
ここもとっても印象深い風景だと思う。

高校生の頃、毎日のように自転車で通った道は良きにしろ悪しきにしろ数多の思い出が詰まっており、どうしても当時の面影を追ってしまう。

2019年8月25日日曜日

県道287号線の風景~その1

県道287号、と言っても突然言われると何処のことか思い当たらないのだが、旧191号と言うとすぐに分かる。

三隅バイパスが開通した以降に県道となったエリアで、歩いてみると印象深い風景が結構あることに気付く。

2019年07月27日撮影-1
エースみすみがあった頃はこのような立派なバス停は無かった。



2019年07月27日撮影-2
香月医院の薄オレンジ色のレンガ塀が残っていた頃は歩道は無かった。



2019年07月27日撮影-3
このゆるい坂を越すと浅田小学校が現れる。しかしなぜここに勾配があるのだろうか?浅田川の氾濫を防ぐために盛ったのだろうか?



2019年07月27日撮影-4
「健康宣言の町」看板が印象的だった沢江の旧道の入り口。
昭和の時代はここから先を自転車で通過するのがとっても苦痛だった。
溝(ドブ)から発する異臭と仙崎湾の見苦しい色を見るのがつらい時代があった。今は本当にきれいになったと思う。

その2へ続く。

2019年8月23日金曜日

昭和40年代の頃を想う~小波橋の辺り

先日、昭和40年に完成した湯免温泉プールのことに少し触れたが、昭和40年の微かな記憶を書き残す。
昭和40年の広報
今思うと・・・
東京オリンピックで閉められた形となった昭和30年代の「高度経済成長」の時代から、昭和40年代はその勢いがさらに増して「経済大国日本!」を目指した勢いのある時代だった。
当時はそのようなことは全く感じずに三隅の片隅で少年時代を過ごしていた。

そして小波橋(さざなみはし)界隈のこと。
昭和40年代が始まった最初の年(1965年)、三隅川の河川改修工事が盛んにおこなわれていたようだ。
豊栄苑の碑

当時明倫小学校へ通っていた自分は夏ともなると毎日のように三隅川でフナを釣ったり手長エビを掬ったりして遊んでいた。その行動範囲は今の小波橋(当時は「野波瀬橋」と自分たちは言っていた。)の真下からすぐ下流の東関渕までで、一人で川に入ってもいつも川漁師?のおじさんが見ていてくれた。
「かごや」と言っていたお店が野波瀬橋のたもとにあって、一時は駄菓子なども置いていたと思う。そのお店のご主人がカニかご漁や投網漁をされていていつも傍で自分たちを見守ってくれていた、と思っている。
当時の小波橋は、今の久原橋のような形状の橋で幅員も狭く、車も離合が困難だった。もっとも車はほとんどいなかったように思う。しかしながらバスが通っていたことが信じられない。

小波橋改修工事の頃
上の写真はたぶん昭和63年か平成元年の頃の小波橋の様子だと思われる。昭和40年代の小波橋の写真が手元にないため三隅広報のストック写真を借用して残しておく。
歩行者用の橋が並行して架けられているのが懐かしく今の小波橋と三隅川を跨ぐ角度が違っていることがわかる。
三隅バイパスが存在しない頃と今の道の様子が全く違っていることが興味深い。

2019年08月13日撮影
小波橋の歩道 



2019年07月19日撮影
小波橋を渡るバス 



2019年04月12日撮影
現在の小波橋たもとの様子

この小波橋が今の様に拡幅されたおかげで野波瀬や向山の住民の生活が変わってきたことを改めて思う。

2019年8月21日水曜日

平成元年の三隅バイパス

国道191号線三隅バイパスは、三隅町の時代に開通している。

この三隅バイパスが半分開通したころに新しい道を通りたくって、遠回りなのに平野踏切からバイパスを走って長門市へ向かっていた。

1989年の頃-1
 この当時はまだ海鮮村(北長門)は無かった。
パチンコ屋さんも今と違っている。
変わらないのは背景の岳ノ山(343.9m)だけだ。

1989年の頃-2
大きくカーブしたバイパスが少し懐かしく見える。
此処を左に下ると平野踏切が見えてくる。

1989年(平成元年)2月27日、町道浅田1号線~長門市小浜間2.3Km開通。

1994年(平成6年)3月30日、浅田~中村間3.2Km開通(全面開通)


全面開通して25年が経過した。


2019年8月19日月曜日

長門市立図書館の風景

長門市立図書館の周辺は、半世紀以上前から知っている世代にとっては良い意味で長門市のイメージとはかけ離れた風景で、部分的に切り取ると欧米的な風景に見えないこともない。(無理にそうすることもないのだが・・・)

2019年08月16日撮影-1

2019年08月16日撮影-2
整備された風景の美しさは、洗濯してきれいにたたまれた衣類の感じに似ている。人の手が加わった風景もとっても素敵だ。
そして秋になるともっと違った風景を楽しめる。


2019年08月16日撮影-3
3枚目の写真の図書館のすぐ向こうには仙崎中学校の校舎が見える。
その背景の山は青海島の大泊山(180m)で青海大橋も左手に微かに確認できる。

この長門市立図書館はルネッサながとと同時期に開館したと勝手に思いこんでいたが、調べてみると1998年にオープン(開館)しているようだ。
ルネッサながとのオープンより2年ほど早い。
いつものことだが自分の記憶はあてにならないことがよくわかった。

長門市は本当に変わってきている。

2019年8月18日日曜日

長門市総合公園の地形

前回に続き、今回は長門市総合公園の地形を感じながら歩いた写真を残す。

地理院地形図より

等高線で判断がつくように、とっても低い山(白はげ山?)を整備して全体を公園化している。

2019年08月16日撮影-1
このように白禿山の名残も残っている。
2019年08月16日撮影-2

2019年08月16日撮影-3
急坂の直登階段や、周り込みの階段も地形に応じて上手に設備されている。
2019年08月16日撮影-4

2019年08月16日撮影-5

2019年08月16日撮影-6

2019年08月16日撮影-7

2019年08月16日撮影-8
この総合公園は「ルネッサながと」が出来て(2000年)すぐに整備が始まったように記憶しているが、山の中腹に小型の重機が上がっていた風景を覚えている。
山の西側はほとんどが水田で、江の川と山陰本線に挟まれたこのエリアは、長門市の開発が始まるまでは小野田レミコンの風景と南側にあった焼却場の臭いが記憶に根深く残っている。
テニスコートのすぐ下にはバッティングセンターのネットがあったこともわりと記憶に新しい。
こんなにきれいな風景になろうとは思いもしなかった場所だ。
次回は市立図書館の風景にしようか?と思っている。

[後記]
この日(8/16)に長門市総合公園の山の中で聞こえたセミの鳴き声は、

  • クマゼミ
  • アブラゼミ
  • ミンミンゼミ
  • ツクツクボウシ
  • ニイニイゼミ

という代表的なセミのオールスターズだ。
絶対数はアブラゼミが圧倒的に多い。
2019年08月16日撮影-9

2019年08月16日撮影-2

2019年08月16日撮影-3
こんなに近寄っても逃げないでいる。

夕方になると、たぶんヒグラシも確認できると思う。


観光列車「〇〇のはなし」を追う

時間が許せば萩駅まで追いたかったが気分はすっかり鉄っちゃんだ。 見慣れた風景に普段見れない列車がやってくるとどうしても撮りたくなる。 上手く撮りたい気持ちはあるがやっていることは素人で、突然思い立っていそいそと出かける。 今回は豊原神社辺りと仙崎駅で撮影。黄砂の影響?かすべて白っ...