沢江川の辺り
旧三隅町の最西端に位置する沢江。
この沢江地区を2分するように流れる沢江川は小さな単独水系で仙崎湾に流れ出る。
その河口にはその昔、旅館やお茶屋が軒を並べていた?ようでかなり景色が良好だったようだ。
昭和26年3月に海岸線の埋め立てにより開通しているこの道路は、昭和28年に二級国道に編入されている。
写真に見えている家並みの位置がそれまでは海岸線ぎりぎりの場所だったということになる。昭和29年の大水害時は国道も流されて壊滅状態だったのかもしれない。
時代を大正まで遡る。
大よそではあるが旅館があった場所を記しておく。
上の地図には記していないが、現在の沢江公会堂のある場所にお茶屋さんがあったようだ。
この広告ページにある「樓(ろう)」という言い方は大正時代当時の流行であったのか?
風光明媚な場所に建てられた2階以上の旅館?で景色を楽しみながら食事をするような場所であったことが伺える。
広告の住所には「三隅澤江」と「長門澤江」とそれぞれ違った表現がされているのが気になるが何かの訳があるのかもしれない。
白潟や小島を左右に含めて正面に青海島が控える仙崎湾(三隅湾)はかなり景色が良かったと想像できる。
可能なら(存在するなら)当時の写真(あるいはスケッチ画)でも見てみたいといつも思う。
この沢江地区を2分するように流れる沢江川は小さな単独水系で仙崎湾に流れ出る。
その河口にはその昔、旅館やお茶屋が軒を並べていた?ようでかなり景色が良好だったようだ。
2019年07月27日撮影-1 |
2019年07月27日撮影-2 |
写真に見えている家並みの位置がそれまでは海岸線ぎりぎりの場所だったということになる。昭和29年の大水害時は国道も流されて壊滅状態だったのかもしれない。
上流から観た沢江川
2019年07月27日撮影-3 |
時代を大正まで遡る。
大正13年・三隅村発行の冊子の広告ページ |
沢江川の地図 |
上の地図には記していないが、現在の沢江公会堂のある場所にお茶屋さんがあったようだ。
この広告ページにある「樓(ろう)」という言い方は大正時代当時の流行であったのか?
風光明媚な場所に建てられた2階以上の旅館?で景色を楽しみながら食事をするような場所であったことが伺える。
広告の住所には「三隅澤江」と「長門澤江」とそれぞれ違った表現がされているのが気になるが何かの訳があるのかもしれない。
白潟や小島を左右に含めて正面に青海島が控える仙崎湾(三隅湾)はかなり景色が良かったと想像できる。
可能なら(存在するなら)当時の写真(あるいはスケッチ画)でも見てみたいといつも思う。
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