2016年12月31日土曜日

大晦日の湯免ダム

辻並川の上流に位置する湯免ダムは、毎年冬になると、通るたびにカメラに収めたいと思いつつ、天候がいまいち(曇りや雨)で通り過ぎてしまう。

本当は雪が降って、辺り一面白銀の世界で撮影したかったけどなかなか思い通りにはいかない。

2016年12月31日撮影-1
平成18年3月完工と記銘されている。 


2016年12月31日撮影-2
 管理事務所から県道36号線を臨む。


2016年12月31日撮影-3
放水の様子。 


2016年12月31日撮影-4
水位なのか、水量、貯水量? 


2016年12月31日撮影-5
みすみ湖は奥の方に行くと少し神秘性を帯びてくる。ネッシーならぬ、ドラゴンでも見たという噂でも出てくると楽しいのに。


2016年12月31日撮影-6
辻並集落の様子。 


2016年12月31日撮影-7
榊でも挿してあれば格好が良いのだが、何が入っているのだろう?

今年の年の瀬は穏やかな晴れた天候で、とても仕事が捗った。

1年で一番好きな日である。

2016年12月30日金曜日

松島の松島たるところ

野波瀬地区にある松島は、現在キャンプ場等で整備されているが、太古には本当に松が生えている小さな島だったのかもしれない。

子どもの頃には岩場の上に松の木が生えていた風景は記憶にある。


2016年11月06日撮影


此処から下の昔の写真を見てみると、野波瀬の変貌がよくわかる。
1970年代後半の頃

1970年代前半-1

1970年代前半-2

1970年代前半-3


2003年03月30日撮影


2005年05月08日撮影-1
1970年代前半と比べると、松島の先端部がかなり違うことが判る。



2005年05月08日撮影-2

2005年05月08日撮影-3
上の写真は、以前「幸島」のことでアップした写真。

2016年12月29日木曜日

薄っすらな雪景色

2011年の1月に撮影した写真の中に、薄っすらとした雪景色があったので此処に残しておくことにした。

写真の腕は悪いが、景色が勝っているためとても美しいと思う。



2011年01月07日撮影-1
久原山を背景にした向山の集落。 


2011年01月07日撮影-2
判りづらいが、田んぼの向こうは土手で、その向こうは三隅川。背景は平野。


2011年01月07日撮影-3
三隅川下流、下東方の船着場。


2011年01月07日撮影-4
三隅川下流、下東方から上東方方面の景色。


2011年01月07日撮影-5
 三隅川の最下流、小島入り口琴橋より。



2011年01月07日撮影-6
豊原の田園地帯。

私たちは、こんなに美しいところに住んでいるのです。


2016年12月28日水曜日

豊原神社のこと

豊原の二条窪川添いにある「豊原神社」は、地元の方以外はあまり知られていないようだ。

社自体が三隅八幡宮と同じく東向きで、日の昇る方へ拝礼するようになっている。

明治の時代にはこの地に豊原小学校が在ったらしく、野波瀬と浅田に文教所があったと書かれている。それが後の浅田小学校だったり三隅保育園だったりすると嬉しい。

豊原小学校は、今の明倫小学校(萩ではなく三隅の明倫小学校)の前身でもあるようだ。(三隅八幡宮前にも市小学校跡があって、つながりがよくわからない)
2008年10月13日撮影-1

2008年10月13日撮影-2

2012年11月16日撮影
上の説明書きによると、豊原には大歳神社、住吉神社、荒神神社の三社があったと書かれているが、大歳神社が此処だとすると残りの住吉神社と荒神神社は何処に在ったのだろうか?形跡を探してみたいと思っている。書かれた文献でもあると読んでみたいが、あったとしてもたぶん読めないと思う。
豊原も奥が深い!!



2016年12月26日月曜日

三隅自動車教習所があった場所

浅田にある三隅勤労者スポーツセンターの東側の三角地帯に「三隅自動車教習所」があった。(写真が手元に残っていない。)

今は藤光蒲鉾の社員駐車場やアルミネハイツになっている場所にあった。

浅田川添いに練習コースが作られていて、一度だけ教習所の近くに鮒を釣りに行ったことがある。


2016年12月20日撮影-1
 藤光蒲鉾の社員用駐車場



2016年12月20日撮影-2
 アルミネハイツの方から撮影


2016年12月20日撮影-3
浅田川添いから撮影


昭和の後半の頃は臭いにおいがしていた記憶がある。今の方が水がきれいかもしれない。

並行して流れる勤労者スポーツセンター側の水路には大きなドンコがたくさんいて魚の切り身を餌にしてすぐに釣れた。
今年の秋口に行った時にはハヤが群れているのを発見。
最近は小鮒(フナンゴと言っていた)を全く見かけない。

子どもの頃は、周りの風景よりも川の様子のほうが気になっていた。
海や川や溝で魚釣りばかりしていたような気がする。

2016年12月25日日曜日

昭和の無煙化

昭和47年(1972年)3月に長門機関区にて「さよならC58」というイベントが開催され、さらに昭和51年(1976年)3月には「さよならD51」が開催されて山陰線からSL(蒸気機関車)が消えた。

当時までSLの煙は洗濯物は汚れるし、トンネルに入ると乗客の顔は黒くなるし、悪いことだらけのイメージだったが、今となっては懐かしいおおらかな時代だ。

昭和47年03月-1
 長門機関区、転車台横の風景


昭和47年03月-2
C58機関車 先頭部 


昭和47年03月-3
C58機関車 運転席部 




昭和47年03月-4
JNR(日本国有鉄道)のロゴ


上の4枚のSLの写真は、当時の長門機関区での撮影のモノ。

ここから下は、D51機関車の上り貨物列車が長門三隅駅を発車した時の様子。


撮影日時は不明だが、昭和48年頃だと思う。
よく見ると、下り線側から3番線(今は無い)に分岐する線路が分かる。
腕木式信号機の時代である。



木マクラギで作られた防護柵が懐かしい。
今は列車の向こう側に見えるバイパスへ向かう横断道路があるが、当時は道自体があぜ道だったと思う。(広田第二踏切付近)

貨物列車の最後部に連結された車両に、新聞や雑誌、郵便物が乗っていた記憶があるが、汽車が到着すると、本屋さん(白藤書店さん)が駅まで到着した月刊誌等を受取りに行かれていた風景を思い出した。


2016年12月23日金曜日

昭和45年のSL

昭和45年の冬だと思うが、三隅町公民館の前あたりから山陰本線の上り列車(SL)を撮影した記憶がある。

親父のカメラを借りて、いそいそと出かけて行き、気分はテレビのCMの「Discover JAPAN(ディスカバー・ジャパン)!」なのだ。

1970年(昭和45年)だったと思うが、an an(アンアン)やnon-no(ノンノ)と言う女性向けファッション雑誌が流行りだし、「アンノン族」という言葉が出現した頃、旅に出ることに憧れた時期がある。

世間は「大阪万国博覧会」に染まっていたが、私はラジオの深夜放送に染まっていた。
イージーライダーと言う映画が公開されて、私は深夜放送を聴くため、ラジオにかじりついていた時代だ。

今思うと、なぜ三隅町に住んでいて、深夜0時を過ぎると突然と「ニッポン放送」や「TBSラジオ」、「文化放送」がクリアな音で聴けたのかが不思議だ。
当時の電波状況(電波や電磁波の量が少なかった)や、周りの外国が深夜は放送を停止していたことが理由だと勝手に思っている。


昭和45年頃撮影?
上の写真は「SL」に興味があったわけでなく、漠然と「旅」に興味があった時期に撮影した1枚。

感傷的な時期だった気がする。


2007年04月14日撮影-1
2007年04月14日撮影-2
37年後に、似たような位置から撮影してみた写真だが、背景の山の形が同じに見えたことがなにより嬉しかった。

37年後に似たようなことをするとは思ってもいなかったことが楽しい。

当時のことの続きは次回にする。

2016年12月22日木曜日

野波瀬浦の地蔵崎の話

今の野波瀬漁港の西側に「地蔵崎」と呼ばれる地名がある。

昔むかし、野波瀬浦の漁師さんのイワシ網にイワシと一緒にお地蔵さまが引き揚げられて、大きな椎の木の下に据えて祀ったことから「地蔵崎」と言うようになったらしい。


下の3枚の写真は1970年代に撮影されたもの。


 野波瀬漁協会館(1974年6月30日完成)が写っているので、それ以降のモノ。


地蔵崎にあったお地蔵様の写真だが、これは引き揚げられたものではなく、後の時代に作られたものらしい。ひょっとしたら、東善寺に祀られているのかもしれない。いつか聞いてみようと思っている。 言い伝えは椎の木らしいが、私の記憶はこの写真のように松の木の袂である。


漁協会館が完成した頃の地蔵崎の様子。



 上の写真は1960年代?の地蔵崎の写真らしい。所有者にお借りしてスキャンしたもの。


2016年12月02日撮影
上の写真は最近の地蔵崎の様子。地すべり防止の工事が見える。



2016年12月20日火曜日

開作にあった「一本松」

中学生の頃、開作に自転車に乗ってハゼ釣りに来ていた。

おおっきなハゼがよく釣れていた場所は、一本松が目印で、そこを目指して一目散にこぎつくと、たまに先客のおじさんがいて人見知りだった私は釣り場所を変えていた。

このような想い出の場所を現代でたどってみると、記憶がはっきりしない部分があるとともに、道の様子が変わっていて特定できないことがよくある。

2016年12月20日撮影-1
 「開作橋」は浅田川(橋名板には「淺田川」と記銘されている)の最河口にある。昭和37年11月完成と記されている。


2016年12月20日撮影-2
一本松が生えていたのは、このあたりだったと思う。


2016年12月20日撮影-3

2016年12月20日撮影-4
開作橋からみた浅田川。


2016年12月19日月曜日

殿村新開の蓮田

先日、親しい方から「三隅で取れたハス(蓮)です」、と言ってとっても粘りのある美味しいハスを戴いた。

煮しめにしても酢バスにしてもとってもおいしかった。

たぶん殿村新開の蓮田のモノだと思うが、その蓮田が少しづつ無くなってきているような気がする。


2010年03月21日撮影
 約6年前の蓮田の様子を撮影していたのでアップ。とっても寒い日だった記憶があるが、見ただけで大変な仕事だ!




2016年12月19日撮影-1
 本日の蓮田の様子。
人けが無かったのが寂しいが景色は抜群に美しいと思う。

2016年12月19日撮影-2
わりと暖かい日だったが、収穫後の蓮田であろうか、とっても穏やかできれいな景色となっていた。

「帰ル堤」のこと

 長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらし...