水族館の思い出
水族館の思い出、って言うとたいていの場合は「楽しかった思い出」しかないのだろうが私の場合は「辛かった思い出」しか記憶にない。
その原因は極度の「車酔い」なのだ。
私が小学生の頃、両親に連れられて当時下関市の長府にあった「市立下関水族館」に車で行っていた。下関駅に近ければ汽車に乗って行けたのに水族館が下関駅から遠い場所に在ったがために三隅から自家用車やマイクロバスに乗せられて連れていかれていた。
2~3Km走ると顔面蒼白状態になっていて途中に何度「降ろしてくれ~~」と叫んだことか。ましてや当時はまだスーパーなどのレジ袋が存在していないのでバケツを抱えての乗車であるから周囲の者たちも決して気分が良くないと思う。
水族館に到着してしばらくは動けず、駐車場の隅っこの芝生で座っていた記憶も残っている。
そして昼食の時間になっても帰りのことが気になって食事も出来ない。
1度だけ食堂の外で皆の食事が終わるまで待っていた記憶もあるぐらいだ。
というわけで水族館の一般的な思い出はほとんど残っていない。
さてその水族館に今度は自分の子どもを連れて行った時の入場券が残っていた。下関市立海響館ではなく、まだ昔の水族館が在った時代のものだ。
当時は気にもならなかったが、入場券に観客の写真が使われているのだ。よく見るとビデオカメラのようなもので撮影している人が二人いるがその他の観客はみんなイルカのショーを観ている。
今の時代はたぶんほとんどの観客がスマホを見ていると思うが、そうすると小さな子供を抱っこ出来ないと思う。昔は子供に見せたいがために抱えて高い位置にやっていたが今はスマホを持って高い位置に持ってきている。
ついでに「水族館」繋がりで池袋の「サンシャイン国際水族館」のパンフレットが一緒に出て来たのでここに残しておく。
この時は車ではなく電車(山手線)で行ったので酔わなかった。
ここへ行った目的は「ラッコ」を見るためだった。イタチぐらいの大きさを想像していったら自分の身長ぐらいあったのでびっくりした。
たぶんとっても小さな画面のテレビでしか見たことがなかったためだ。
そうだ、水族館は楽しい場所でないといけないのだ。
[後記]
「極度の車酔い」の私の遺伝子は見事に子供たちにも受け継がれている。
ちなみに妻も車に酔う。
その原因は極度の「車酔い」なのだ。
私が小学生の頃、両親に連れられて当時下関市の長府にあった「市立下関水族館」に車で行っていた。下関駅に近ければ汽車に乗って行けたのに水族館が下関駅から遠い場所に在ったがために三隅から自家用車やマイクロバスに乗せられて連れていかれていた。
2~3Km走ると顔面蒼白状態になっていて途中に何度「降ろしてくれ~~」と叫んだことか。ましてや当時はまだスーパーなどのレジ袋が存在していないのでバケツを抱えての乗車であるから周囲の者たちも決して気分が良くないと思う。
水族館に到着してしばらくは動けず、駐車場の隅っこの芝生で座っていた記憶も残っている。
そして昼食の時間になっても帰りのことが気になって食事も出来ない。
1度だけ食堂の外で皆の食事が終わるまで待っていた記憶もあるぐらいだ。
というわけで水族館の一般的な思い出はほとんど残っていない。
さてその水族館に今度は自分の子どもを連れて行った時の入場券が残っていた。下関市立海響館ではなく、まだ昔の水族館が在った時代のものだ。
1987年06月28日の入場券-表 |
1987年06月28日の入場券-裏 |
今の時代はたぶんほとんどの観客がスマホを見ていると思うが、そうすると小さな子供を抱っこ出来ないと思う。昔は子供に見せたいがために抱えて高い位置にやっていたが今はスマホを持って高い位置に持ってきている。
ついでに「水族館」繋がりで池袋の「サンシャイン国際水族館」のパンフレットが一緒に出て来たのでここに残しておく。
1984年11月パンフレット表紙 |
ここへ行った目的は「ラッコ」を見るためだった。イタチぐらいの大きさを想像していったら自分の身長ぐらいあったのでびっくりした。
たぶんとっても小さな画面のテレビでしか見たことがなかったためだ。
そうだ、水族館は楽しい場所でないといけないのだ。
[後記]
「極度の車酔い」の私の遺伝子は見事に子供たちにも受け継がれている。
ちなみに妻も車に酔う。
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