特急まつかぜ号がやってきた日

昭和39年(1964年)3月20日のこと。
長門市駅に初めて特急まつかぜ号がやってきた。
この「初めて」という意味はそれまで特急列車が山陰本線の北浦地区を運行した歴史がないわけで、それも食堂車がついているような素晴らしい特急列車が三隅のエリアを走っている姿を想像しただけでもワクワクする。
この昭和39年は東京オリンピックが開催された年で、さらに東海道新幹線が開業した年でもある。

長門市広報より
当時の自分はまだ三隅町の小学生で「夢の超特急・ひかり号」のことしか知らなかったし、それ自体も遥か遠い世界のことのように受け止めていた。そんな田舎に遥々と博多や京都のような行ったこともない都会から特急列車がやってくるわけだ。
中学生になったころにグラウンドから上りのまつかぜ号を眺めていたことも思い出した。

そしてその後、まつかぜ号は「特急いそかぜ号」と名を変えて徐々に車両の編成数も減らしていった。
そして2005年3月1日のダイヤ改正で姿を消してしまった。最後はたったの3両編成となってしまっていた。当初は10両とか、8両編成だったような記憶だ。今のトワイライトエクスプレス瑞風が10両編成なのは山陰本線各駅の有効長がまつかぜ号に合わせてある?おかげなのかもしれない。)
昭和から平成にかけて41年間ほど北浦のエリアを走っていた特急列車は居なくなった。つまりいそかぜ号が廃止されたと同時に山口県内の山陰本線を走る特急列車は皆無となった。

特急いそかぜ号が廃止されようとしたときに、確か萩市が存続願いをJRに提出したという話を聞いたことがある。長門市も提出していたのかもしれないが結局徒労に終わってしまった。

美祢線や須佐エリアの水害のことや、三江線の廃線を思うと路線が残っているだけでもありがたいのかもしれない。

三隅川橋梁を渡る特急まつかぜ号の情景が徐々に記憶から遠のいていく。

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