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12月, 2019の投稿を表示しています

2019年の最後は

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2019年の最後のアップを山の風景にしたかったが、やはり見慣れた風景が捨てきれず三隅の中心地にした。 2019年12月28日撮影-1 最初は香月泰男画伯が幾度も観たであろう三隅川橋梁の風景。 走っている列車がC58やD51ならなお良いのだが。 久原橋より撮影。 2019年12月28日撮影-2  三隅中校舎の手前が山陰本線で背景の山は権現山。 広田より撮影。 2019年12月28日撮影-3  広田の農道より久原山を眺める。 2019年12月31日撮影 そして今年の最後の写真は大晦日の朝の理不尽な交差点より。 この写真を撮影したのは、朝なのに東の空より西の空のほうが明るくなっていたからで、ただそれだけの理由でシャッターを切った。 今年の最後は「理不尽な交差点から見る西の空」。

豊原の辻~続編

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先日アップした「 豊原の辻 」の位置は、下図の地形図の赤丸の位置だが、38年前の地形図でも今とかなりの地形の違いが分かる。 昭和56年発行 5万分の1 小波橋の仮橋が在ったり又はバイパスが無かったり、細かく言うとまだまだ現状と違いはある。 さらに遡って昭和17年発行の 戦前の地形図 と比べてみる。 昭和17年発行 5万分の1 同じ1:50000の地形図でここまで地形に違いがあると過去の街道などの形跡を訪ねることがいかに難しいかが分かる。 一番驚いたのは三隅川の水域の位置が違うことで、人工的なものなのか災害等に起因するものなのかが分からない。 そういえば昭和26年のルース台風や昭和29年の台風15号による大水害が発生しているが、大災害の前後で地形が変わることは近年の災害を見ても分かる。 現代の 赤間関街道北道筋の様相 を少しづつ写真に残そうとしているが、筋道があっているのかどうか不安になってきた。 ここから下の写真は今年の10月にアップしたものだが再度残しておく。 2019年10月22日撮影-1 2019年10月22日撮影-2 2019年10月22日撮影-3 2019年10月22日撮影-4 現代の風景もとても風情のある街道だと思う。

年の瀬の三隅八幡宮

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年の瀬になって八幡様にお参りに行った。 すっかりと初詣の準備が出来ている様子。良い風景が撮れた。 2019年12月28日撮影-1 2019年12月28日撮影-2 2019年12月28日撮影-3  とっても身近に感じられる風景がある。 ところで・・・境内下に「 水準点 」が設置してある。 2019年12月28日撮影-4 以前より気になっているこの水準点の看板(点標)だが、ここだけでなく確かほかの箇所も半分消えている?又は消してある?。理由がわからないが何の意味があって半分白く消されているのだろうか?まさかいたずらとも思えないが「大切にしましょう」と書かれている分、余計に気になる。

豊原の辻

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豊原の旧道にある四辻は、その北側で舟戸道へと繋がっていく。 そしてこの辻は 赤間関街道北道筋 として利用されてきた道でもある。 2019年12月23日撮影-1 2019年12月23日撮影-2  あえて「長惣旅館前分岐点」と言っても良さそうだ。 2019年12月23日撮影-3 古くは街道であったことを意識して歩くと、思いがけない発見があるかもしれない。興味深くてとても趣きのある道だ。 古くは深川村の前身として前大津宰判の勘場として藩政に寄与していた舟戸付近より南下したこの道は、令和になった現在少し様子が変わろうとしている。 近いうちにその様子の変化を残そうと思っている。 【後記】 舟戸の積み場へ向かう道の入り口に在った「前大津宰判の勘場跡」の杭が最近無くなっている。何かわけがあるのであろう。 長門市役所旧本庁の自転車置き場の辺りに在った「前大津宰判の勘場跡」は舟戸から移された場所のようだ。やはり大津の中心は深川でないと不便だったようだ。

「出前一丁」のこと

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先日少し書きかけたが、インスタント袋ラーメンの続き。その中でも「 出前一丁 」は色々なシーンの思い出が残っている。それも 味と共に 脳裏に焼き付いている。 出前一丁-1 なぜこんなことを書き残そうとしたかと云うと・・・ 一言でいうと「風味や味が変わってきた」からだ。 インスタント食品にそこまで期待しなくても、という考え方もあるだろうが自分にとって多感な時期の空腹を満たしてくれた貴重な食品であるからだ。 味の良し悪しではなく、昔ながらの味が変わってしまったことの残念さが沸々と湧いてしまっている。 出前一丁-2 これほどのビッグネームでありながら味を変えてきたことの理由や経緯があるのだろうが残念でならない。 少し前にはこんな商品もあった。 出前一丁-3 ひょっとしたらもっと色々なバージョンがあるのかもしれないが、食べたいとは思わなくなってきた。 今の時代は決してインスタント(即席)を侮ってはならない。 自分たちの世代はジャパニーズ・スタンダードであり、今はワールド・スタンダードなのであろう。 お馬鹿な事かもしれないがどうしても書き残しておきたかった。 【後記】 少し前の朝ドラの「まんぷく」はチキンラーメンやカップヌードルに因んだお話だったように思うが、「ダネイホン」や「まんぷくラーメン」のパッケージや看板広告のデザインは素晴らしいセンスを見せていた。 その時代の風景や道具、又は商品の再現力を含めて朝ドラは貴重な映像資料かもしれない。

年の瀬の長門三隅駅前

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年の瀬の風景が寂しいものばかりになっているが、本日は長門三隅駅の風景だ。 久しぶりの晴れ間だったように思うが人が全くいない。 2019年12月23日撮影-1  駅舎が「はつらつステーション三隅」となって何年になるだろうか。 普段はシャッターが閉まっているようだ。 2019年12月23日撮影-2 駅を降りて最初に目に入ってくる風景がこれだ。 2019年12月23日撮影-3 左手は小さな庭?が目に付くだけ。 2019年12月23日撮影-4 右手は駐輪場が見えてくる。一番奥には夏柑の選果場の倉庫が残っている。今は何に使用されているのだろうか? もうすぐ2019年が幕を閉じようとしている。すでに元号は「令和」となって8ヶ月が経とうとしている。平成から令和になった頃の「 長門三隅駅前 」の風景を残しておく。 【余談】 駅前と云えば私はすぐに「 駅前ラーメン 」(エースコック)というインスタントの袋ラーメンを連想するが、中学生の頃にとっても好きだったインスタントラーメンだ。もちろんこだわりをもって自分で作っていた。 エースコックの駅前ラーメン(復刻版) 昭和を半分生きた世代としてインスタント袋ラーメンのことも書き残しておこうと思う。続く!

年の瀬の琴橋付近

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先日三隅川の河口付近の風景を上げたが、やはり青海苔の養殖が気になってしかたがない。 冷たい雨が降る中、今一度行ってみた。 2019年12月22日撮影-1 やはり養殖の様子は見られなかった。 2019年12月22日撮影-2 2019年12月22日撮影-3 実は今年の11月、サケの遡上を待ち続けて何度も中流域へと足を運んだが、結局確認はできなかった。多分来てはいるのだろうが自分が発見できなかっただけだと思う。 しかしながらサケの遡上も見れないし海苔の養殖の気配も無くなっているし自分の中では結構なダメージだ。 そういえばこの冬はミサゴのダイビングも見ていない。 三隅川とだんだんと疎遠になってきているようでちょっぴりつらい。

舟戸の風景

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船戸(ふなど)は「舟戸」と記されている資料もあるが、江戸時代には三隅の三ヶ村(上・中・下)や真木、渋木、於福の各村の年貢米を積みだした港で、豊原の蓼原には前大津代官所が置かれていた。 2019年12月16日撮影-1 2019年12月16日撮影-2  土手道は今はきれいに整備(草が刈ってある)されている。 2019年12月16日撮影-3 2019年12月16日撮影-4 昭和40年代の頃までこの辺りの三隅川は水量も多く全面水域だったが、今は台風や大雨の影響で土砂が堆積して小川のような水域になってしまった。積み荷を積んだ船が横行していたとは思えない風景だ。 特に対岸の 東関渕(とうかんぶち) は神秘さを感じるほど深い淵だった。 舟戸のお地蔵さまはいつも綺麗にされている。お世話されている方がいらっしゃることが嬉しい。

向山の賽の神

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向山地区にいつの時代から在るのか?「賽ノ神(さいのかみ)」という字名がある。そしてそこには賽の神様が道祖神としていらっしゃる。 2019年12月15日撮影-1 2019年12月15日撮影-2 大きな椎の木に守られるように鎮座されている賽の神は、慶応3年(1867年)に創設された「 向山塾 」の入り口でもある。 そして時代は明治、大正、昭和、そして平成へと移り変わり、 そろばん塾 の入り口となっている。 2019年12月15日撮影-3 時代は令和となり、何時の頃からか山茶花が可憐に傍で咲き始めた。 (ひょっとして寒椿?) 悪疫悪神の侵入を防ぐとされる「塞の神」と文字は違うが同様の信仰として、さらに道祖神として祀られてきたものに違いないと思う。 子供の頃より慣れ親しんできた場所だ。

ベニドウダンと云う樹木

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樹木や植物にとっても疎い私は「ベニドウダン(紅満天星)」という樹木を今年になって知った。 一位ヶ岳のどこかに自生 していることは資料や現地の看板で知っていたが、どのような樹木なのか全く知らないでいた。 2019年11月17日撮影-1 上の写真の看板はちょっとまぎらわしいのだが、「この近くに自生地がありますよ!」という案内の看板だ。 (一位ヶ岳の頂上近く) 2019年11月17日撮影-2  そしてようやく 自生した「ベニドウダン」 を同行者の方々のおかげで見つけた。上の写真がそれで、下の写真は樹木の下部だ。 2019年11月17日撮影-3 ところが いこいの森 にも「ベニドウダン」が植えられている?ことを教えていただいた。 それが下の写真だ。 2019年12月15日撮影-1 2019年12月15日撮影-2 一位ヶ岳で見たものとイメージが違った。全く違うものにしか見えない。やはり樹木や植物は覚えられないし難しい。 樹木図鑑を買ったのでこれから覚えていくつもりだったが、これを見ると絶対に樹木名はわからない。(自分では判断できないと思う。) 2019年12月15日撮影-3 冬のいこいの森もきれいだ。

小波橋の下

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三隅川にやってくる越冬のカモたちが、年ごとに中流域に向かって多く見られるようになってきた。例年だと下流域に多く見られた風景が今は違ってきているように思う。 近年?より餌場が変わってきているのだろうか。 2019年12月15日撮影-1 2019年12月15日撮影-2 昨日アップした琴橋(三隅川最下流の橋)付近の写真にはほとんど見られないカモたちが、中流域ではたくさん見られる。 もう一つ気になるのがマガモのオスが異様に少ないことだ。 写真ではわからないが、これだけの集団の中にマガモのオスは2羽のみだった。 生態系が少しづつ変化してきているのか? そして今年は野生のニホンザルが家の前まで来て威嚇してくる。困ったことだ。

三隅川河口の今

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三隅川の汽水域から河口にかけて 青海苔の養殖 がされていた。 過去形で表現することが間違っていることを願い つつ書き込む。 ほんの数年前までたくさんの竹竿が汽水域に刺さっていたのだが、今は一本もなくなっている。 2019年12月13日撮影 2019年12月15日撮影 遠目に見ても養殖の様子は確認できない。 あまりに寂しいので過去(約13年前)の写真を再度残しておく。 2007年01月05日撮影-1  背景に映るゴルフ練習場(大隅ゴルフガーデン)のネットも懐かしくなってきた。 2007年01月05日撮影-2 2007年01月05日撮影-3 2007年01月05日撮影-4 2007年01月05日撮影-5 「平成」真っ只中の風景だが、わたしの記憶は昭和50年代後半にはこのような風景が見れていたように思う。 年末から年明けにかけてもう一度撮影に出かけてみようと思っている。 小島漁港では収穫した青海苔を干す風景もこの先見れなくなってしまうのかもしれない。