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年の瀬の熊野権現社

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 三隅の中村地区に在る「熊野権現社」の年の瀬は静かであった。 2020年12月29日撮影 2020年12月29日撮影 2020年12月29日撮影 熊野社から観る権現山の姿。ちなみに熊野権現社と兎渡谷の権現山は由来が違うようだ。 下の写真は大竹から観る熊野権現社の在る山。 この山の向こう側はふれあいパーク三隅(三隅総合運動公園)だ。 2020年12月29日撮影 イチョウの樹のおかげで位置が分かりやすい。 熊野権現社と言えば「ナギの木」の神木がある。 2020年12月29日撮影 2020年12月29日撮影 今の時季はイチョウの枯葉に混ざってナギの木の実?がたくさん落ちている。見た目がブルーベリーのような実で、知らないと口にしそうだ。食べられるのかどうかは知らない。 あと少しで2020年が幕を閉じる。

食堂ゆきの

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 電話番号簿には確か「ゆきの飲食店」と書かれていた「ゆきの食堂」は通称「ゆきの」で通っている。 営業されていた頃の外観の写真が古いPCより見つかったので残しておくことにした。 2007年04月07日撮影 2008年01月08日撮影 「昭和」が終わろうとする頃に、お昼ごはんに「鍋焼きうどん」をよく食べに行っていたことを思い出しながら撮影した写真だ。(過去にも書き込んだような?) 時には焼きめしなどの他のメニューも食したが、何もかも美味しかった記憶しかない。 まだお店をされている頃に、スーパーなどで時々ご主人と奥さんが買い物をされている姿をお見かけすることがあった。お店とは違った普段のお姿を見て微笑ましく思ったことも思い出した。 お店を止められてまだ少ししか経っていないのに懐かしくなってきた。 [後記] 「ゆきの」さんはお酒の好きな方は「焼き鳥で一杯」って印象のお店だろうが私にとっては「食堂」だ。この「食堂」という言葉は今となっては死語に近い言葉で、現代は「ごはん屋さん」とか「ランチのお店」と洒落た言い方をよく聞く。「食堂」というとすぐに思い出すのが新幹線や特急列車の「食堂車」で、これもまた鉄道の高速化で消え去ってしまった。

豊原のカフェ

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 豊原の旧街道(赤間関街道北道筋)沿いにとっても素敵なカフェがある。 「里カフェ」というネーミングに惹かれてはいたものの、タイミングが合わなくて未だに行けていない。 そして今は新型コロナウイルスの影響でしばらくは休業中とのこと。 2020年12月11日撮影 2020年12月17日撮影 2020年12月17日撮影 旧街道沿いに在る ことや 元商店 の個性を生かしたこのハイセンスな若者?の底力はどうだ! 嬉しくなる佇まいで、独特の感性とセンスの良さを敢えて隠しているようで、実は見えてしまっている感がなおさら良い。 地元産のハチミツを売りにされている様子。 新しい風景がここにはある。

ベルトコンベアの終点

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 仙崎の白潟の海上で終点?を迎える住友大阪セメントのベルトコンベアは、最近メンテナンスや塗り替え等の工事がされている様子で風景として観ても実に爽快で綺麗になってきた。 2020年12月21日撮影 ここからタンカーに積みこまれる。 支えの脚が塗り替えられて仙崎湾に映える。 2020年12月21日撮影 ベルトコンベアの下に青海島の高山や寺山が聳えている。 タイトルに終点と書いたが精製?工場が終点になるのかもしれない。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 秋芳鉱山からベルトコンベアで運搬されてきた石灰石がここで一旦精製されるのであろうか。この後で仙崎湾へと運ばれる。 このような巨大な設備や建造物は確実に風景の一部で、自然との違和感を感じさせてはならない。子供の頃から観てきたこれらの施設は今となっては原風景の一部となっている。 あっぱれ!

いこいの森三隅の樹木図鑑

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 毎年「いこいの森三隅」は進化している。 昨年?だったか野鳥の巣箱がたくさん取り付けられていたが今年は樹木の名称看板が設置されている。 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 2020年12月20日撮影 森林に人の手が加わるとこんなに楽しくなる良い例だ。 歩いていて本当に気分が良い。野生の動物たちもたくさん歩いている気配が窺える。様々な「フン」が目に付くわけだ。 山に人が入っていくことの意義を考えてしまう。つまり野生動物たちの領域や様々な樹木の生息域に人が共生することの意義だ。 枯葉や枯れ木を集めたり、薪(たきぎ)を拾ったりして山道が出来ていく。先人たちの知恵を学び、そのやり方を現代らしく進化させて里山を作っていくことの大切さを改めて思う。

久原山トレッキングコースの修正

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 以前に久原山トレッキングコースの案をこのブログで上げたことがあったが、野波瀬峠の入り口(登山口)が新道路建設(砂防提建設の工事用道路)工事の法面工予定地になっており、現在ルート整備が出来そうにないので野波瀬峠コースを除外するトレッキングコースの修正案を残すことにした。 地理院地形図を利用 上の地理院地形図を参考にルートを説明。 三隅公民館(農業者トレーニングセンター)に駐車し、山陰線の三隅踏切を横断してすぐの久原橋を渡る。 渡り切った道を右に向かうと下の写真の小さな案内が目に付くので目の前の登山口の擁壁を登る。 擁壁を上がった所の上の写真の久原大歳社が登山口 ① となっている。 ここから久原山頂上②へとひたすら尾根を登っていく。ここが一番きついかもしれない。 上の写真が久原山頂上 ② の祠の様子。ここで少し休憩をして息を整える。そして③の分岐点へと尾根道を進む。 上の写真が地理院地形図の久原山(204) ③ の様子。ここを右に折れていこいの森へと進む。 下の写真がいこいの森の最高峰、野地山(夫婦岩) ④ の三角点。 ここでいっぷくしてここから「いこいの森」の整備されたエリアを散策する。②~③~④間は未整備だがとっても歩きやすい尾根ルートだ。 下の写真は⑤のいこいの森の入り口 ⑤ (登山口?)だ。 ここには下のようなトイレもあるし、駐車もできるがここまで来る林道が狭いので対向車が来ると離合が難しい。( どこの山も登山口はそのようなところが多い。) 下の写真が林道の入り口で、旧・県道萩三隅線に出た所。 写真の矢印とは逆にこちらから登っていくほうが少し楽かもしれないが、個人的には久原地区からスタートするほうが好きだ。 (最後に急斜面を下るのが嫌なだけ。) 車2台で両サイドに置いていくことも大丈夫だ。 秋から冬がおすすめのシーズンです。特に 冬は尾根道が広葉樹の枯葉が積もっており 、「ザクッ、ザクッ」という足音をさせながら歩くのがとっても気持ちいい。

アカデミックな風景

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 長門市立図書館の在る場所が好きで、図書館に用事が無くても訪れることがある。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 晩秋から冬にかけての肌寒い季節が一番お勧めだが、一年を通してアカデミックな雰囲気を感じられる。 2020年12月01日撮影 ルネッサ正面からの白はげ山への空中通路もお気に入りで、いきなり四季の山の香りを堪能できる。 ここから下は昨年の夏の風景。 2019年08月16日撮影 2019年08月16日撮影 2019年08月16日撮影 話に聞くと三隅の浅田小学校の遠足は、この白はげ山だったらしい。 ここで転んだ経験をお持ちの方もいらっしゃると思うので敢えてこの写真を選んだ。ところで当時は今のような整備路は無いのだが浅田を出発して何処から登っていたのだろうか? [後記] この白はげ山を囲む総合公園には「マムシ注意!」や「スズメバチ注意!」のような警鐘看板がある。里山にはどこにでも居て当たり前のことなのだが一応管理してますよ、ってことなのだろう。山の危険度を再認識して気をつけることに対しては良いが、実際の危険生物を知らない市民が多いように思うがいかがであろうか。

吹雪の朝はやはり寒かった

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 今冬の初雪が16日朝に舞った。北陸や東北の大雪に比べることは出来ないが軽い吹雪程度だ。 2020年12月16日撮影 三隅川橋梁を撮影したが、吹雪の様子がうまく撮影できていなかった。 しかし寒い! 2020年12月17日撮影 ところが次の日の夕方にはこんな青空が現れた。 そしてふっと昨年のことを思い出す。 昨年の12月28日の三隅川橋梁と久原山の様子。 2019年12月28日撮影 2019年12月28日撮影 昨年の12月には雪が降った記憶がない。 比較的暖かかった日が多かったように思う。 2019年12月28日撮影 来年(2021年)の元日は「元旦祭」が無い様子。(「浦安の舞」のみ中止なのか?)新型コロナウイルスでこんなことになろうとはこの頃は思いもしなかった。

三隅上地区の風景~一ノ瀬・三ノ瀬

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 三隅川が滝坂より下って最初に大きく蛇行する位置に「瀬」が付く地名が残っている。 「三ノ瀬(そうのせ)」や「一ノ瀬(いちのせ)」という。 その辺りの一昔前の風景。 2006年10月15日撮影 2006年10月15日撮影 2006年10月15日撮影 2006年10月15日撮影 2006年10月15日撮影 2006年10月15日撮影 今となっては三隅地区内でもこのような風景はなかなか拝めなくなってきた。 今はかなり風景も変わってきているので、中にはどの位置で撮影したのかわからない写真もあった。

田屋の松風

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 大津緑洋高校の校舎越しに平地から青海島の高山や木斛山、そして寺山がみえる。 2020年12月01日撮影 実は最近まで大津高校(現、大津緑洋高校)の住所は仙崎であると勝手に思っていた。ところが実は長門市東深川であることを最近知った。市外局番と立地位置で推測して勝手に仙崎と思い込んでいたわけだ。 この場所「田屋」という地名は確か校歌で初めて知ったと記憶しているがその校歌も出足(田屋の松風 光そよぎて・・・?)しか想い出せないほど脳裏から消え去っている。 部分拡大 ところで「全国高校生英語ディベート大会」とは何だろう? ディスカッションとはたぶん違うのであろう。言葉や表現も時代と共に変化してきている。母国語ですらついていけなくなってきているのに英語がとっても苦手な自分は信じられない程の世界の話だ。 音楽ではブリティッシュやアメリカンの世界に魅了され続けているのに「英語」と聞くと拒否反応を起こす。 しかしこのような垂れ幕でもない限り地元の方々は関知しないまま終わってしまう。「英語部」、ファイト!