赤間関街道北道筋のこと~番外編

 昨年の11月だったか「赤間関街道北道筋」のことを書き込んだが、今回は番外編として絵堂付近の「中道筋」で出会った施設を例に、北道筋も「こうあってほしい!」という希望を残そうと思う。

2020年11月29日撮影
萩の唐樋町から続く萩往還道や赤間関街道は萩市や美祢市、山口市及び防府市(旧三田尻)そして下関市では街道沿いで様々なこのような施設が目に付く。ところが長門市に関しては全くこのような施設にお目にかかったことが無い。(私が知らないだけで、もし在るのならお許しを頂きたい。)


2020年11月29日撮影
庚申塚(又は庚申塔)が「猿田彦の塚」と彫られている。注連縄もしっかりしているし一里塚の代わりに新しく整備されたものと思われる。
(上の写真の看板のすぐ隣にある庚申塚)

そして街道沿いの道標。
2020年11月29日撮影
例として写真に「落書き」をしてみた。この落書きは旧三隅町の例として描いたものだが、旧三隅町には萩市の床並(三見眼鏡橋付近)に続いて宗頭(追分)、中小野、浅田と三ヶ所に一里塚(約4Km毎)が在った。

その他の赤間関街道北道筋の主要な場所を萩方から列記すると・・・

  • 鎖板峠(くさりいただお)
  • 七曲道(ななまがり)及び鎖板橋
  • 山本家跡
  • 岡藤家(市)
  • 琴影橋
  • 豊原勘場跡
  • 村田清風旧宅(三隅山荘)

関連施設はまだまだあるが、番外編なのでこの程度にしておく。正明市から湯本、俵山の街道筋に関しては過去に書き込んでいるので省略する。

もし行政関係の方がこのブログを閲覧され、興味があるならぜひともご検討を願いたい。


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