源範頼の墓と姫田川

三隅の生島(いかしま)に源範頼の墓とされる場所(小さな山)がある。
頼朝が鎌倉幕府をつくった翌年に弟の範頼は伊豆の修善寺で自刃したと記されている。

説明文中、首級(しるし)とは打ち取られた首のことで、生島まで持ってきて葬られたらしいが、ちょっと信じがたいところもあるが、その後の話が面白い。

2016年12月10日撮影-1

2016年12月10日撮影-2

2016年12月10日撮影-3

2016年12月10日撮影-4
その後の話とは、・・・
範頼を慕う一人の御姫様が当間を追うてここ(生島)まで来たがすでに範頼の首級は埋葬されていて、泣く泣く息を引き取った。村人たちはそのお姫様を哀れに思い、付近の薮陰に葬り、その下を流れる谷川を「姫田川」と名付けてそのあとを偲んだ、
という言い伝えがある。
(「三隅町の歴史と民俗」より)


2017年08月16日撮影-1

2017年08月16日撮影-2

2017年08月16日撮影-3
2017年08月16日撮影-4


姫田川にはゲンジボタルが多く生息したらしく、「姫の霊」ではないかと噂しあったらしい。

日本むかしばなしのようでとっても面白い。

姫田川沿いに「みすみ千年の森」の看板が建てられているがいつか紹介してみる。

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