その後森澤雄治町政に変わり「体力づくりモデル町」の指定を受け浅田、宗頭、さらに明倫と順次小学校のプールが出来て行った。
と言うことで当時は町のあちらこちら(上地区・中地区・下地区)で「健康宣言の町」という大きな立て看板を目にした。
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| 昭和38年 山口国体旗が役場前を通過 |
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| 昭和41年代 |
写真は「ふるさとみすみ」より引用
いつの間にか撤去されたこの看板は、自分の中で風景と一体化しており、懐かしくもある。向こうに見える日本石油が扱っていたCALTEXの星マークにびっくり。とってもアメリカンでかっこいい。
いつか、ガソリンスタンドの記事を残したいと思っている。
さて、この「健康の町」宣言に伴う事業として当時の三隅町がやってきたことは
- 下水溝の整備
- 集団胃がん検診
- 血液型住民総登録の実施
- 衛生自治会連絡協議会の発足
箱モノを除いても行政の努力がうかがえる項目ばかりだ。
こんな小さな本州の片隅の町で、日本の高度成長の縮図を見るようなことをやっていたのだ。下水溝の整備も町内すべてではないが東京オリンピック(昭和39年)の2年後からやっていたわけで、今思うと不衛生極まりない時代によくやったと思う。
(参考)東京オリンピックの前に東京都は汚水が流れる不衛生な川に蓋をして暗渠化していった。つまり汚いものを隠していったのだ。その蓋のおかげで出来た新しい道も結構ある。


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