昔の明倫小学校
三隅の明倫小学校は、明治17年に市小学校と豊原小学校の両校の合併により発足したと「ふるさとみすみ」に記述してある。
「市小学校」は三隅八幡宮の前、「豊原小学校」は豊原神社のあたりと三隅町教育委員会の立て看板に記述がある。(両方ともこのブログで紹介している)
今年になって、以前よりお世話になっている方より「昔の明倫小学校の校舎が写っている写真がある」とのお話を聞き、スキャンさせていただいたものをここに残すことにした。
ちなみに今の明倫校舎は子供たちが写っている辺りに建っている。
アルバムの台紙に「二十六年度」と記述してあるので昭和26年か27年の頃だと思うが、背景の久原山を見た時に、三隅町役場が無いことに気づいた。60年以上前にはまだ三隅町役場は木造の平屋であったから隠れているようだ。
下の2枚の写真はほぼ同じ場所から撮影した役場の建屋が無くなったときとまだ建っている頃のもの。
久原山が変わらず聳えているのが物悲しくもある。
もう一枚、当時の教室の様子を写した貴重な写真をアルバム中で見つけた。
この写真から色々なことを想像してみる。
日付は2月16日土曜日と黒板の右端に書いてある。寒い時期だ。
アルバムの前後の写真から想像すると多分昭和25年(1950年)と思われる。
等々、想像するととっても楽しい写真だ。
よく、このような写真を残しておかれたと思う。感謝!
「市小学校」は三隅八幡宮の前、「豊原小学校」は豊原神社のあたりと三隅町教育委員会の立て看板に記述がある。(両方ともこのブログで紹介している)
今年になって、以前よりお世話になっている方より「昔の明倫小学校の校舎が写っている写真がある」とのお話を聞き、スキャンさせていただいたものをここに残すことにした。
ちなみに今の明倫校舎は子供たちが写っている辺りに建っている。
昭和26年度(1951年か52年) |
下の2枚の写真はほぼ同じ場所から撮影した役場の建屋が無くなったときとまだ建っている頃のもの。
2017年02月01日撮影 |
2012年06月12日撮影 |
もう一枚、当時の教室の様子を写した貴重な写真をアルバム中で見つけた。
昭和25年?の明倫小学校の教室 |
日付は2月16日土曜日と黒板の右端に書いてある。寒い時期だ。
アルバムの前後の写真から想像すると多分昭和25年(1950年)と思われる。
- 黒板に字を書いている左の男の子?はなぜショルダーバック?の紐を掛けているのだろうか?
- 書こうとしている字が上手すぎるので、先生が書いた字をなぞっているだけで参観日か何かで「やらせ」の写真ではないか?
- 先生の後ろの「覚える漢字の一覧」が黒い幕で半分以上隠してあるのはなぜか?
- 黒板の上の数字(上段)はなぜ偶数しかないのか?
- その横の額縁の絵はだれが描いたものか?上手いのだ。
- この写真を撮った方はなぜもっと児童をアングルに入れなかったのか?(資料として撮られた写真ではないか?)
- この当時、明倫小学校は山口県の研究指定校(算数科)だったらしく、県への提出資料として撮られた写真ではないか?
等々、想像するととっても楽しい写真だ。
よく、このような写真を残しておかれたと思う。感謝!
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