1970年前後の海外制作のテレビ番組

1970年(昭和45年)前後の頃に三隅町に住んでいて見れたテレビ番組で特に好きだった外国の番組がある。

パートリッジ・ファミリー」というアメリカの番組(たぶんABC制作)でとってもウィットの利いた仲の良い家族6人とお人好しのマネージャーが中古のスクールバス(ボンネットバス)でツアーしながらバンド活動をするというドラマ番組だ。

時期的に自分自身もギター(エレキ・ギターという)に憧れていた時代で、バンド活動が家族で出来るという当時の日本の片田舎の住民にとってみれば夢のようなお話で、テレビが伝えた海の向こうの生活はとっても素敵だった。

パートリッジ・ファミリー

母親役でコーラス担当のシャーリー・ジョーンズさんは確か元ミス・ピッツバーグでとってもチャーミングな女性で、長男でリードボーカルはデビッド・キャッシディ、長女役でキーボードのスーザン・デイはこれまた可愛い女の子だった。

この一家のマネージメントを引き受けていた「キンケードさん」というマネージャーが憎めないとってもいいキャラクターで番組の面白さをパワーアップしていた。


キンケードさんと一緒

1970年の11月ごろのビルボードのシングルチャート1位を記録した「悲しき初恋」は今聞いてもちょっとせつない名曲だ。

「奥様は魔女」や「名犬ラッシー」等は再放送があったせいか覚えている人が多いが、この「パートリッジ・ファミリー」はなぜか知っている人が少ない。


それともう一つ、テレビにかじりついて見ていたドラマがイギリスの番組「謎の円盤UFO」というフィクションだ。同じイギリスの制作で「サンダー・バード」という超メジャー番組があるがこちらは人形劇だが「謎の円盤UFO」は人が演じていた。
ストレーカー長官、さらには番組に出てくる自動車がとっても未来的でカッコよく、夢見る少年にはたまらない番組だった。


【後書き】
昭和45年より前の三隅町のテレビ事情は、NHK総合、教育テレビと民放はKRY山口放送しか映らない時代だった。

昭和45年4月ごろだったと思うがTYSテレビ山口が放送開始となってどんな番組が見れるのかワクワクした記憶が残っている。
三隅町ではTYSを見るために、テレビの上にUHFチューナーのような機械を取り付けてやっと見れていたような記憶がある。

昭和40年代に入ってカラーテレビが一般家庭に普及したのちは番組自体がバラエティでカラフルになってきて、ウルトラマンがやっと少年雑誌と一緒の色になってテレビに映ってきた。

その後、テレビ自体も応接間に置けるような木目が入った豪華さを売り物にしてきて、三菱電機の「高雄」や三洋電気の「薔薇」、ナショナルの「嵯峨」、東芝の「名門」などブランド名が出てきた時代でもある。パナカラー、キドカラー、ユニカラー、ネオカラーなどのカラーテレビブランドが懐かしい。
その後、SONYがトリニトロンという独自のブラウン管搭載機を出してきた。世界のSONYの始まりだった気がする。

高度成長期は面白いものがたくさんある。

まだまだ書き足りないのでこの続きを後日アップすることにする。

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