東京ミッドタウンのこと

今回はちょっとだけ遠くのお話し。

東京の六本木(住所としては赤坂)に「東京ミッドタウン」というショッピングセンター、ホテル、公園、美術館などを備えたとても大きな複合施設がある。

実はここは私たちの年代にとっては「防衛庁」があった場所で、一般の者が足を踏み入れてはならない場所だったのだ。ところが2000年に防衛庁がここ(六本木)から市ヶ谷(元々駐屯地があった)に移転して、その跡地に新しい都市計画が始まった。それが現在の東京ミッドタウンなのだが・・・。

2013年02月15日撮影-1
地下鉄都営新宿線-曙橋駅を出た正面の看板

2013年02月15日撮影-2
市ヶ谷に移転した防衛庁はその後「防衛省」となり現在に至っている。
上の写真は4年前に市ヶ谷近くの曙橋駅に行った時のもの。


ここまではよく知られた話だが、防衛庁があったこの場所はその昔(江戸時代)萩藩の毛利家下屋敷だったのだ。明治時代には陸軍駐屯地になり終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎として実に400年あまりの間一般には閉ざされた土地として使われて来たわけだ。(私もここまでは知らなかったが調べてみてびっくり!)

その毛利家下屋敷にゴジラがいるらしい。

ここから下は親しい知人から先日いただいた写真である。
2014年08月撮影-1

2014年08月撮影-2

2014年08月撮影-3

2014年08月撮影-4

萩藩の下屋敷にゴジラが埋まっているぞ! とは言わない。
東京ミッドタウンにゴジラが埋まっているぞ! と言うのだ。
このゴジラは今は見れないそうだ。違ったゴジラがいるらしい。

首都高速を挟んで反対側(南側?)に六本木ヒルズがあるのだが、そこにも「毛利庭園」と名の付く史跡庭園がある。(テレビ朝日の正面玄関横)
長門長府藩主(長州藩毛利氏の分家)だった毛利綱元の麻布上屋敷の跡地であるらしい。
私はこの時代の歴史は詳しくないので説明は出来ないが、毛利の名が今の東京の地図に残っていることがちょっと嬉しい。(←田舎者のあるある!)

新宿の東宝ビルの屋上にもゴジラがいるのだがそれはいつか紹介します。


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