「ボックス公衆電話」と書いてある

旧三隅町の時代、電電公社が設置したボックス公衆電話が長門三隅駅前に出来た。昭和38年(1963年)の夏のことだ。

S38年三隅広報より
今と同じように隣に郵便ポストが並んでいる。ポストの背が今より低いように思える。

電話機がまだまだ町内にあまり普及していなかった頃だと思うが、当時の人々がこの中に入って電話をかける様子を想像すると楽しくなる。

足元が透けていないのも良い。
後ろに当時の木造の駅舎が少しだけ写っていてとても懐かしく思える。

出来ればこの写真をカラー写真で見たかった。ボックスの色を見たいのだ。薄っすらとした記憶の中で天井の色はたぶん朱色か赤だと思う。

最近の様子と比べてみると・・・
2017年06月19日撮影
随分とハイカラになってきている。

当時の長門三隅駅はというと以前から何回かここに残してきたが、下り線ホームの向こう側に3番線が待機線として在った時代で、2・3番線のホームに屋根付きの小さな待合室が在った。
下の写真は以前アップしたものだが2014年に跨線橋から撮影したもの。
(当時は跨線橋もありませんでした。)
2014年06月29日撮影


その待合室の中で早朝の4時前頃?に下ってくる「急行あきよし」を待っているときの記憶が今でも鮮明に残っている。こんなに早い時間から駅舎にあかりが灯り、駅員さんが改札や窓口に居る風景ってローカル線ではもう見れない。(「急行あきよし」はなんと長門三隅駅に停車していたのだ。)
またいつかこの続きを書いておくつもりだ。

話は戻るが急行あきよしが通っていた頃にもたぶんこの電話ボックスが在ったと思っているが、中にどんな電話機が設置してあったのか全く覚えていない。

ボックス公衆電話」のことでした。


コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

アトラス長門の記憶