三隅七観音のこと

昨年、中畑の観音堂のことを書いたがその時に「三隅町の歴史と民俗」の記述で「三隅七観音」という言葉が使ってあったことを書き残した。

中畑観音堂入り口
2017年09月23日撮影-1

2017年09月23日撮影-2

観音堂の中の様子(観音様不在)
2017年09月23日撮影-3

中畑の観音様 「広報みすみ」より


この「三隅七観音」とは何処のことなのか知らなかったのだが過去の広報を読み漁っていて偶然見つけた。

そこで広報のほぼ原文に近い形でテキスト化したのでここに残す。




三隅七観音

文政元年( 1818年) 旧三隅の庄( 現在の三隅町) に東より霊けんあらたかな観音七つを設け、縁日には巡拝して祈りを捧げたものである。

一、中畑観音
堂に安置され胎内仏として貴重である。近年胎内仏を部落全戸で護持することとなり、一年交代の廻り持ちで縁日の八月十七日を交代日として、部落全員で供養して次の方が奉安される。

二、明峰寺観音- 本尊-
拾壱面観世音で仏工春日の作といわれるが近代修理の跡が顕著で、県指定文化財になっていない。縁日毎月十七日

三、正楽寺観音
正楽寺入口の観音堂に安置される石仏で、縁日は四月十七日で正楽寺部落婦人会で供養されている。傍仏の木喰上人像は全国廻国千体仏の一つとして有名である。

四、室生観音
東善寺に預託されている。
元は室生釈迦堂に安置され室生部落で護持されていた。

五、豊原だけの観音
岳山(だけやま)の頂から二条窪道路辺にて心ある人々によって護持されている。豊原の熊野さんが中心に心配されていたが、近年故山中正一さんが「おむろ」をつくり山からおりられたのである。

六、浅田観音
前の位置より移転し前田さんが山中にて護持されている。

七、沢江西山観音
諸願成就の霊験あらたかな観音として、町内外からの参詣者多く、参拝道路も部落民で整備されている。

この様に部落で護持されるもの寺の本尊、個人や心ある人によってまもられているもの、預託され部落とは目下は関係なきもの等あって、信仰の変遷が偲ばれる。

他にも市、滝坂にも観音様があるがこれらは七観音には属さないと古書にある。


以上
機会があれば訪ね寄ってみようと思う。

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