今の野波瀬の風景が出来た頃

県道野波瀬港線が出来て間もなく野波瀬漁協会館が完成した。

昭和49年(1974年)のことだ。

狭かった野波瀬の本通り?を避けて出来た新道は瞬く間に三隅の主要道となり大型のトラックやバスが行きかうようになった。
中でも記憶に残っている大型車は、昭和60年代初頭より現れ、毎日のように見た「イカ参上!」(「活きイカ参上」だったか?)と大きく描かれた大型トラックの登場だ。
当時の野波瀬漁協が大変な労力を費やして、活きたままのイカを出荷輸送するシステムを作り出したのだ。
早朝の暗いうちからゴーーー!という音でやって来る大型トラックはとても恰好よく見えた。

三隅町の広報より-1

 昭和49年7月?の広報
三隅町の広報より-2

そこで3年前の風景を眺めてみる。

野波瀬漁港へ向う旧道との分岐点辺り
2015年04月04日撮影



野波瀬漁港線の終点
2015年03月29日撮影



旧防波堤から観た野波瀬漁協会館
2015年06月07日撮影

今の野波瀬の風景の元となる「かたち」が出来て44年が経った。

狭かった旧道は今見ると、記憶よりもさらに狭く感じられ、その昔小型のバスが入っていたと思うと信じられないくらいだ。
その後バスが少し大型になり、新道が出来る前までは今の厄神様の手前の回転場でUターンしていた。
記録として残しておこうと思う。

コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

山口福祉専門学校の桜