写真撮影に眼の衰えを知ること

以前からデジタルカメラ(比較的安価なハンディータイプ)を手にした時に思っていることがある。

例えば「花」を撮影したいときに、マクロ撮影をして接写で撮りたいと思っても瞬間にマクロ設定のスイッチに指がいかない。
マクロ撮影設定をした後にも液晶画面を見てもどこにピントが合っているかが眼が翳んで分からず、ダメな写真になる。

その例をいくつかここに残しておく。
(撮影技術はまったくの素人で、カメラよりも成果物の写真そのものが好きなタイプ。)

2018年05月22日撮影-1
アザミの花を撮ろうとして接写したがピンボケとなったもの。白い枠にピントを合わせたかったのだ。



2018年05月22日撮影-2
別の場所でもう一度チャレンジして同様にピンボケになったもの。
オートモードで撮った方が良かった、と後で気づく。


2018年05月22日撮影-3
小判草を接写したがもっと近づいて撮った気でいたもの。ピントはあっているかもしれないがこんな写真を撮ったつもりではない、という例。



2018年05月24日撮影
遠くの牛にピントを合わせたつもりだった写真。
ファインダーならまだしも液晶画面でのピント合わせはつらいものがある。


2018年05月27日撮影
動画モードで山中の鳥のさえずりを録音(録画)したかったが撮影モードになっていたためシャッターになってしまったもの。液晶画面のモードが見えていないのだ。(カメラケースにしまうときにスライドスイッチが動画になったり写真になったりするカメラ。相棒のため壊れるまで使い切るつもりだ。)

老眼で視力が低下していていることは以前からわかっていたが最近特に手に取ったものが見えない。

撮影もAI(エー・アイ)さんに任すしかないか?なんか嫌だ。

自分なりに楽しんではいるが思い通りに行かないとやはり悔しい。

しかしこんなことでめげてはいられない。まだまだ見たいものや残しておきたいものがたくさんある。


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