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12月, 2018の投稿を表示しています

三隅の夜明けの風景

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5年前の2013年の大晦日の夜明け、三隅の中心地「土手」地区の風景を撮っていた。 2013年12月31日撮影-1 2013年12月31日撮影-2 山陰本線の鉄橋が美しく三隅川に投影される。 2013年12月31日撮影-3 権現山から昇ってくる太陽が今は無き三隅町役場の建屋を照らす。 この位置からお日様が昇ってくるのは年末のこの時期だけのことで、1枚目の写真のとおり、権現山のなだらかな輪郭がとってもきれいに映し出される。 ♪扇山(おおぎやま)から 三隅は明けて♪ と謡われる三隅民謡「 扇山から 」をこの場で書き留めたことがあったが、三隅の中心地からは扇山が見えないのでこの通りにはならないが「権現山」と歌詞を置き換えても大丈夫なほどこの方向から観た権現山の山景は扇山に似ている。 また近いうちに「扇山から」のことを今一度書いておこうと思っている。 [参考] 「扇山から」・・・ 作詞: 白藤 孝亮 作曲: 平川 喜敬 補佐編曲: 船村 徹 唄: 霧島 昇・花村 菊江 日本コロムビアからレコード化されています。

嘉万の須賀社

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秋芳町嘉万の大水峠トンネルの付近に「須賀社」という小さな神社が在る。 2018年12月23日撮影-1 2018年12月23日撮影-2 到着した途端に 大粒の雨 が降り出して、傘を片手にシャッターを切ると雪の粒のように撮れていた。とってもきれいで満足の1枚。 2018年12月23日撮影-3 2018年12月23日撮影-4 2018年12月23日撮影-5 ところで「須賀社」の「須賀」って何だろう? 全国色々な場所で「須賀」という名前を聞いたように思う。そういえば広島駅のすぐ近くに「大須賀」という住所(土地の名前?)があったことを思い出した。 それにしても嘉万の町並みはきれいで、住人の方々の努力がとってもよくわかる。 秋芳町は町だけでなく山の中まで整備が行き渡っているように感じる。山道や林道を歩いても人の手が加わった気配がとっても色濃く感じられる。隣の町のことながら嬉しくなる。

年の瀬の久原山

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午前中で仕事に限が付いたので、午後から向山から久原山に向かって山歩きをしてみた。以前書き込んだトレッキング構想のルートだ。 地図(地形図)上でチェックしたり磁石で方向を確認したりのゆっくりの歩きで約1時間15分で久原山山頂に到着。 ということで今回は 久原山頂上から見える風景 の記録。 2018年12月27日撮影-1 萩・三隅道路が見えたが、生島の奥か?千年の森方面だろう。 2018年12月27日撮影-2 萩方面は三見漁港の向こう側に萩城跡のある指月山が小さく見える。 2018年12月27日撮影-3 仙崎湾や深川湾、遠くに向津具半島の山が見える。 2018年12月27日撮影-4 仙崎の街が少しだけ見えるが、それよりも遠くに今岬がはっきり見えるのが良い。 2018年12月27日撮影-5 大水峠を挟んで権現山の裾と天井山が尾根伝いで亘って見える。 桂木山がちょこっと顔を出している。 2018年12月27日撮影-6 頂上が少し狭いが1人で休憩するには気分が良い、と思ったら頂上に着くや否やめっちゃ寒い!。北風で汗が冷えてとにかく寒かった。 即時退却! 途中の風の通らない尾根で休憩して枯れ枝を少しだけ持ち帰った。 私は基本的に山のものは持ち帰らないのだが、キャンプ用の小さなステンレス製の薪ストーブの試運転用に枯れて落ちていた枝を少しだけ持ち帰った。お正月にこの携帯用薪ストーブで「 インスタントの袋ラーメン 」を作ってみようと思っている。ちょっとだけ楽しみだ。 [後記] このトレッキング構想のルートは尾根に到着するまでがけっこうな藪で、未整備の段階では初心者に勧められないと思っている。 絶対に安易に山に入ってはいけません。

疫神様のこと

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以前、野波瀬の「疫神様(やくじんさま)」の土俵のことを書き込んだことがあったが、この名前のことで以前より気になっていることがあった。たいていの場合、災厄払いという意味合いで「 厄 神様」と言うのだが、野波瀬の場合は「 疫 神様」と書き疫病払いのほうなのだ。つまり「 痘瘡守護 」の意味合いで祀られているようだ。 2014年04月19日撮影 2015年01月05日撮影 2010年03月05日撮影-1 2010年03月05日撮影-2 2010年03月05日撮影-3 2010年03月05日撮影-4 毎年 12月の最初の丑の日 に祭礼が行われ、その日には各家ごとに赤飯を炊いて 椎の葉 に乗せてお供えをしていたと聞く。 また祭礼?として「みかん相撲」がふるまわれていたが此処近年は子供の不足?からか催されてないようだ。 (昨年だったか訪れた時に土俵が終われていた。) 「みかん相撲」は以前書いたように個人的にはとっても嫌っていたが、風景から土俵が無くなるということに寂しさもある。 この「疫神様」の地理的な位置だが、今のような立派な県道野波瀬港線が未だなかった時分は、野波瀬地区の入り口に陣取っていかにも疫病を遮る門番をしているような位置に在り守り神のイメージがあったが、現在は県道からはまったく見えないために旧道の傍に控えめに祀られている感じに収まっている。 [後記] 今年の秋だったか、訪れた時にきれいに掃除をされている方がいらっしゃって「お疲れ様です!」の挨拶だけで過ごしてしまったが、今思うと邪魔だったかもしれないが色々とお話をしてみればよかったと思っている。

三隅川の景色~落志畑~滝坂

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昨年の年の瀬に旧三隅町の最も上地区に位置する落志畑(おとしばた)から滝坂(たきさか)にかけての三隅川を辿ってみた時の写真。 2017年12月23日撮影-1  バスの回転場の辺りから下ってみた。 2017年12月23日撮影-2 2017年12月23日撮影-3 2017年12月23日撮影-4 2017年12月23日撮影-5 川には「匂い」があってその流域ごとに感じる匂いが違っている。 ここら辺りの上流は杉や檜が多いせいか下流と違って水の生臭さ?が感じられない。単純に「空気がきれい」ということではなく川の水に不純物が少ないから臭わない、だから森林の匂いが分かる、というように理解している。 ちなみにこの「匂い」は 川に接する位置 まで行かないと分からないと思う。水自体が臭わない?ので周辺の枯れた草木、又は杉や檜の匂いがダイレクトに伝わってくる。山の中で沢歩きをするともっとはっきりわかる。 年が明けて花粉の飛散が始まるまでの楽しみだ。

見慣れた冬のシーン

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今の時期に車に乗ってFMラジオを聴くと、クリスマスに関連した曲がけっこうな勢いで流れてくる。 外の風景も山肌がすっかり冬の景色に変わっていて、ひょっとしたら自分はこの時期が1年で一番好きな時ではないかと思うほどだ。 2018年12月22日撮影-1 2018年12月22日撮影-2 国道沿いに1ヶ月以上遅れて紅葉が観れる場所がある。雪景色で撮影したいといつも思っている場所だがなかなか降ってくれない。 2018年12月09日撮影-1 2018年12月09日撮影-2 冬の曇り空はいかにも寒空で、葉を落とした樹々がシルエットの如く空に写る。 淡い色で水彩画にしてみたくなるほど素敵だと思っているが、身近な場所にも素敵なシーンがたくさんある。

湊の旧堤防

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長門市の湊地区の旧市街と埋立地との境に昔の堤防が残っている。 残されている、と言った方が正解かもしれない。 2018年12月18日撮影-1 2018年12月18日撮影-2 2018年12月18日撮影-3 この堤防を見るたびに思い出すのが旧・長門病院だ。 木造の建屋だった長門病院は、裏手がすぐこの堤防で青海島が正面に見えていたことを記憶している。 というのが小学6年生の時に長門病院で盲腸の手術をして2週間程度入院していたことがあり、「手術」という恐怖に怯えて正面玄関に入って行ったことが忘れられないのだ。 2018年12月18日撮影-4 堤防の切れ端付近から観る青海島(おおみじま)は深川湾の対岸に見えるわけだが小学生の頃の自分にとっての「青海島」は「島」ではなく仙崎の奥の方的な位置感の場所で捉えていた。 昭和40年に完成した 最初の青海大橋 がさらに昔から在ったような感覚が自分にはあり、島へ渡るイメージがあまり無い。 [後記] 今年の10月22日未明に発生した大島大橋(周防大島町と柳井市間)の外国船衝突事故から2ヶ月が経ったが、通行出来て当たり前の橋が通行できなくなることの重大さを改めて考えさせられた。 このニュースを聞いた時に、青海大橋も昭和62年?に大型クレーン船のクレーン部分が橋に激突した事故を思い出した。この時もしばらく通行止めがあったと記憶しているが青海島の住民の方々は今回の事故をほぼ自分たちのことのように嘆かれたことと思う。

白はげ山を歩く~その2

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前日に続いて頂上広場からすぐ隣の白はげ山を目指す。 総合公園案内図 2018年12月18日撮影-1 2018年12月18日撮影-2 「小浜山(おばまやま)古墳」から深川湾を臨む。 「こはまやま」と読んでしまいそうだ。 2018年12月18日撮影-3 2018年12月18日撮影-4  眼下に拡がる仙崎の街並み。 2018年12月18日撮影-5  白はげ山頂上付近(標高31.9m) ここに着いた時、懐かしい風景に出会ったような気がした。 そして芝生広場に下りて行き、市立図書館を横目にスタート地へ戻る。 2018年12月18日撮影-6  冬空がとっても良く似合う市立図書館付近の風景。 ウォーキングには少し短いが風景を楽しむ公園歩きと思えばとっても楽しめる。 2018年12月18日撮影-7 Yahoo_mapより 「ルネッサながと」が完成したのが確か2000年(平成12年)の3月頃だったと思うが、その当時は国道191号線からバッティングセンターの緑色のネット越しに山の上(白はげ山付近)で何かの工事をしているって感じで捉えていたが総合公園となろうとはその当時思わなかった(知らなかった)。 長門市のこれまでの「カラー」がガラリと変わってとってもあか抜けたイメージとなった。当時は「箱モノ」に色々とマイナスなイメージがあったが、今は風景だけで判断すると長門市とは思えない(とっても偏見に満ちているかも)素敵なルックスを備えた場所となっている。 風景を見る限り提供側はしっかりと守っている。後はユーザー側がどのように楽しむか、ということだろう。 既設のもので楽しめる市民が増えるといいな。

白はげ山を歩く~その1

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ルネッサながとの東側に位置する小高い山で「白はげ山」という山がある。標高は約32mで今は長門市総合公園の一部となっているようだ。 その白はげ山を目指してルネッサながとの南側駐車場から歩いてみた。 (ウォーキング・コースとして整備されている道) 2018年12月18日撮影-1 2018年12月18日撮影-2  テニスコートを右に過ごして階段を上がっていく。 2018年12月18日撮影-3 2018年12月18日撮影-4 2018年12月18日撮影-5 2018年12月18日撮影-6 2018年12月18日撮影-7 写真を見てわかるように長門市街が一望できるとっても気分の良い場所で、少し体を温めるプチ・トレッキングとしては楽しいかもしれない。 次回はここ(頂上広場)からとなりの「白はげ山」へと続く。

三隅川の景色~河川公園「清流」付近

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2003年(平成15年)に完成した三隅河川公園「清流」付近の風景はやはり残しておきたい。 有線テレビみすみ(YTM)で保育園児による稚鮎の放流風景を流していたことを思い出した。 2007年04月07日撮影-1 2007年04月07日撮影-2 2007年04月07日撮影-3 2007年04月07日撮影-4 [後記] これらの写真は完成から4年後(2007年)のものだが、2009年の水害の発生した後より少しづつ姿が変わってきているように思えてならない。(この場所に限らず三隅川全域にあてはまる。) これまでの風景に土砂が堆積して水域の部分が変化してきたと同時に繁茂する植物も変わってきているように思う。 人の手を加えないと町の風景も荒んでいくのと同じで山や川の風景も同様に荒んでいく。今は傍観するしかない。 遠い過去からの風景と比べると大したことではないのかもしれないが、どうしても自分の時代の「ものさし」で比べてしまう。