湊の旧堤防

長門市の湊地区の旧市街と埋立地との境に昔の堤防が残っている。
残されている、と言った方が正解かもしれない。


2018年12月18日撮影-1

2018年12月18日撮影-2

2018年12月18日撮影-3
この堤防を見るたびに思い出すのが旧・長門病院だ。
木造の建屋だった長門病院は、裏手がすぐこの堤防で青海島が正面に見えていたことを記憶している。
というのが小学6年生の時に長門病院で盲腸の手術をして2週間程度入院していたことがあり、「手術」という恐怖に怯えて正面玄関に入って行ったことが忘れられないのだ。

2018年12月18日撮影-4
堤防の切れ端付近から観る青海島(おおみじま)は深川湾の対岸に見えるわけだが小学生の頃の自分にとっての「青海島」は「島」ではなく仙崎の奥の方的な位置感の場所で捉えていた。
昭和40年に完成した最初の青海大橋がさらに昔から在ったような感覚が自分にはあり、島へ渡るイメージがあまり無い。

[後記]
今年の10月22日未明に発生した大島大橋(周防大島町と柳井市間)の外国船衝突事故から2ヶ月が経ったが、通行出来て当たり前の橋が通行できなくなることの重大さを改めて考えさせられた。
このニュースを聞いた時に、青海大橋も昭和62年?に大型クレーン船のクレーン部分が橋に激突した事故を思い出した。この時もしばらく通行止めがあったと記憶しているが青海島の住民の方々は今回の事故をほぼ自分たちのことのように嘆かれたことと思う。


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