2018年12月26日水曜日

疫神様のこと

以前、野波瀬の「疫神様(やくじんさま)」の土俵のことを書き込んだことがあったが、この名前のことで以前より気になっていることがあった。たいていの場合、災厄払いという意味合いで「神様」と言うのだが、野波瀬の場合は「神様」と書き疫病払いのほうなのだ。つまり「痘瘡守護」の意味合いで祀られているようだ。

2014年04月19日撮影

2015年01月05日撮影

2010年03月05日撮影-1

2010年03月05日撮影-2

2010年03月05日撮影-3

2010年03月05日撮影-4
毎年12月の最初の丑の日に祭礼が行われ、その日には各家ごとに赤飯を炊いて椎の葉に乗せてお供えをしていたと聞く。

また祭礼?として「みかん相撲」がふるまわれていたが此処近年は子供の不足?からか催されてないようだ。
(昨年だったか訪れた時に土俵が終われていた。)

「みかん相撲」は以前書いたように個人的にはとっても嫌っていたが、風景から土俵が無くなるということに寂しさもある。

この「疫神様」の地理的な位置だが、今のような立派な県道野波瀬港線が未だなかった時分は、野波瀬地区の入り口に陣取っていかにも疫病を遮る門番をしているような位置に在り守り神のイメージがあったが、現在は県道からはまったく見えないために旧道の傍に控えめに祀られている感じに収まっている。

[後記]
今年の秋だったか、訪れた時にきれいに掃除をされている方がいらっしゃって「お疲れ様です!」の挨拶だけで過ごしてしまったが、今思うと邪魔だったかもしれないが色々とお話をしてみればよかったと思っている。

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