仙崎の海外引揚の地

先日、20年以上開けていない箱を見つけて、その中から色々な懐かしいものが出てきた。

その中に、買った覚えのない記念切符があった。衝動買いか買わされたかどちらかだろうが、自分なりに貴重なものとして此処にアップ。

記念切符が入っていた袋


平成7年(1995年)に買ったと思われる「海外引揚50周年記念」の切符。
その袋に入っていた記念切符
切符の裏の文章を読んでみると、

昭和20年(1945年)の終戦直後に、旧国鉄釜山航路で活躍していた「興安丸」という船が南朝鮮からの引揚者を運ぶ引揚船として使用され、41万人以上を仙崎港に搬送していた、というものだ。

ここで自分でびっくりしたことが2つあった。

1つは、昨年(2016年)の4月に、仙崎に旧国鉄仙崎線の開設時の海岸まで延びていた頃のレールの跡の名残を探しに行っていたことを思い出した。結局何も見つからなかったが、「引揚記念碑」の写真だけは撮影していた。

仙崎線・仙崎駅の延長上に現在の「引揚記念碑」がある。
2016年04月24日撮影-1

2016年04月24日撮影-2

2016年04月24日撮影-3


下の地図は自分の思いで、補足説明をしたもの。

昔、仙崎駅に2番線のような、もう一本の線路があった(今は1番線のみ)ことは知っていたが、引揚者や物資を下関や厚狭に運ぶために敷かれたレールだったことを後から知った。

地図で判るように、すぐ近くに仙崎海上保安部が現在あるが、引揚当時の入国管理をしていた名残なのかもしれない。(これも勝手な推測)


参考?の地図

びっくりしたことの2つ目は、旧国鉄の「釜山航路」が存在していたことだ。今でいう関釜フェリーだろうが、旧国鉄の運営だったことにびっくり。

国鉄宇高航路(宇野~高松)や国鉄宮島航路(宮島~宮島口)は知っているが釜山航路はこの切符で知った。


(余談その1)

当時の引揚者に仙崎花火大会を見せてあげたいとふっと思った。すでに72年の年月が経っている。
当時の仙崎は引揚者の方々でとっても賑わっていたと聞いている。

(余談その2)

「切符」という言葉はそのうち無くなってしまうのではないか、ちょっと不安な思いもある。
「入鋏バサミ」ってどこかで使っているのか?

・・・

最初に戻るが、20年以上開けていない箱の話は今後まだまだ続きそうだ。

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