山本開作、殿村開作をまとめて、明治初期の頃は「沢江開作」と呼んでいたらしい。
浅田川河口域の南側を山本開作、北側を殿村開作と呼んだ。
明治6年に、
宗頭の山本家、
白潟の殿村家がそれぞれの
沢江干潟を完成させたことからこのように呼ばれてきたらしい。
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沢江干潟の略図
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江戸時代に毛利藩の重鎮が、開作に挑んだが困難を極めたため、そのままになったところを先ほどの両家が完成させたということらしい。
その後昭和になり、戦後に山本開作は三隅町が買い上げて工場用地となり、殿村開作は耕作者に譲渡され、そのまま蓮田になったようだ。
そして昨年、蓮田のほとんどを耕作停止したらしい。
昨年の大晦日に「
最後の蓮です!」と言われてまたまた蓮を戴いた。
有り難いことでした。
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| 2016年10月24日撮影-1 |
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| 2016年10月24日撮影-2 |
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| 2016年10月24日撮影-3 |
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| 2016年10月24日撮影-4 |
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| 2016年10月24日撮影-5 |
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| 2016年10月24日撮影-6 |
ここから下は、昨年の体育の日に撮影した
向開作の風景。
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| 2016年10月10日撮影-1 |
三隅川河口と並走した向開作の道。
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| 2016年10月10日撮影-2 |
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| 2016年10月10日撮影-3 |
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| 2016年10月10日撮影-4 |
少し前まで「大隅ゴルフガーデン」の入り口だった場所。
向開作(むかいかいさく)とは「向さん」て方が開発したのか、それとも小島の向かい側にあるためなのか、よくわからない。
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