2004年2月に撮影した写真に、今となっては見れない風景や建物が写り込んでいたのでここで紹介。
13年前のものだが、よく見ると今とかなり違う様子がわかる。
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2004年02月12日撮影-1 |
中央保育所(旧三隅町公民館)だった建物がみえる。
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2004年02月12日撮影-2 |
中央右の田村建材㈱の赤い建屋がある頃。
萩・三隅道路の終点部の道路基礎部が出来ようとしている。
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2004年02月12日撮影-3 |
屋上から三隅八幡宮方面をうかがう。琴影橋の欄干が古い。
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2004年02月12日撮影-4 |
中央、明倫小学校の昔の校門の前の道が舗装されていない。
左側に役場職員の方々の一時駐車場が少しだけ見える。
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2004年02月12日撮影-5 |
三隅川下流方と久原自治会を臨む。
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2004年02月12日撮影-6 |
役場屋上にはこんなでっかいパラボラアンテナがあった。
10年は一昔(ひとむかし)というが、「昔」という言葉は「りっしんべん(立心偏)」を付けると惜しむという感じになる。
心を立てて昔を想うと惜しくなるものが現れる。
少し前の風景がとても懐かしく感じる。
見慣れていたものが無くなると惜しく感じる。
街(町)も少しづつ進化しなければ残っていかないが「ふっ」と寂しい感情が湧くのはなぜだろう。
「
記憶」があるだけ、と「
想い出」がある場合と脳が違う指令を出しているのかもしれない。
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