長門三隅駅の東側に保材線があり、そのさらに東側に「夏柑共同選(撰)果場」のスレート建屋が残っている。
昭和30年代に夏柑の出荷がピークを迎え、その後昭和40年代になって衰退の一路を迎えてしまった三隅町の柑橘類の生産の名残である。
テレビの普及(主にCM)に伴う食生活の多様化が影響していると思われ、酸っぱい柑橘よりもバナナやイチゴ、メロン等の甘い野菜(果物?)が食卓を飾るようになってきた。
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2014年06月29日撮影-1 |
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2014年06月29日撮影-2 |
ここから下は昨年の10月の撮影。
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2016年10月18日撮影-1 |
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2016年10月18日撮影-2 |
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2016年10月18日撮影-3 |
このグレーチングのような添板を使って、
貨物列車に夏柑を積み込んでいたと想像される。積み込み作業を映像で見たいものだ。
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2016年10月18日撮影-4 |
昭和53年に完成した、という部分が剥がれている。
オートメーション選果機を導入したものの、やはり生産量も出荷量も衰退してしまったようだが、柑橘組合による「園芸地域施設」と書かれている。いったい何だろう?この頃は「夏柑」ではなく「
甘夏」に変わっていたはずだ。
この時代、私自身は三隅町にいなかったためまったく記憶にない。
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