山下清の放浪のこと

昭和40年の頃の記憶だ。
三隅町の明倫小学校(木造の旧校舎)の講堂の片隅に割と大きな貼り絵が掛けてあり、その下に小さな紙きれで「山下清・作」と書かれた画があったことを記憶している。

しかし今になって同級生に聞いても「知らない」、「覚えていない」の連発だ。
「そもそも、山下清は放浪で三隅に来ているのか?」と逆に問いただされ、返答が出来なかった。


20年以上前だったと思うが、京都の嵯峨野に旅行に行ったときに偶然見つけた「裸の大将記念館」に入館してみた。入ってみようと思ったきっかけが「放浪の旅で三隅に来た形跡」を探すことだったことを思い出した。しかしその形跡どころかテレビ番組の「裸の大将放浪記」のイメージが強かった想い出しかない。
パンフレットと入館チケットの半券


それ以降、山下清に関する書籍を見つけた時は、何か形跡が見つからないかと読み漁った。
関係書籍の一部

いろいろ読んでも山陰の西側(北浦)のことはほとんど記述がない。


ところが・・・
昭和39年の長門市広報の記事で「山下清さん 斎木市長を訪問」という記事を偶然見つけた。当時、隣の町であった「長門市」に来ていたのだ。

昭和39年の長門市広報より抜粋

隣町に来ていたことがわかっただけでもとっても嬉しく、ひょっとしたら山陰本線の長門三隅~長門市間の線路を歩いたかもしれない、と思ったらワクワクしてきた。
その時に三隅町役場か明倫小学校に来ていたのかもしれない。そしてそこで画いた貼り絵(三隅の風景?)が明倫小学校の講堂にかけてあったとしたら・・・

楽しくてしょうがない。

明倫小学校の講堂に在った貼り絵は何処の風景だったのだろう?
今でもどこかに保管されていることを願っている。

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