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1月, 2018の投稿を表示しています

豊原から見る久原山

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三隅の久原山(204m)は以前からここで何度も取り上げている低山だが見る方角によっては最高地点の頂がわかりづらい山でもある。 久原山周辺の集落  上の図のように北は野波瀬、東は北生島、西は向山、南は久原にそれぞれ集落を形成し、南側で三隅川に屹立した地形となっている。 尾根の北東側は野地山(211m)でその北側に三隅の名勝地「松島」を拝観できる。 (野地山は今は「 いこいの森 」と言われている。) 今回はその久原山を豊原から眺めてみる。 2018年01月30日撮影-1 豊原のメインストリート?である旧国道(現・県道287号)から眺める久原山。 2018年01月30日撮影-2 県道285号、二条窪交差点側から眺める久原山。この道路の勾配の下は山陰本線が走っている。 【余談】 豊原を歩いていて、「えっ?」と思った場所が2箇所あった。 以前は久原山を観れなかった(観られなかった?)地点だが 建屋の取り壊し で観れるようになった場所が出来たのだ。 2018年01月30日撮影-3 2018年01月30日撮影-4 これらの場所は、今後新しく建造物が出来ると久原山はまた観れなくなるわけだが、今だけの風景かもしれないので写真に残した。

雪の日の午後

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前日に続いて1月25日の雪の日の午後の風景だが・・・ 所用で沢江まで行った帰りの浅田の風景から。 あっという間の出来事だったかのように道路の雪が消え去っていた。 2018年01月25日撮影-1 2018年01月25日撮影-2 2018年01月25日撮影-3  岳ノ山やその背景の鉄割山には冠雪が見られなく、広大な田畑には雪が残っていた。(下の写真) 2018年01月25日撮影-4 2018年01月25日撮影-5 畑の畝に降りしきった雪は、山の濃い群青ととてもよく似合い、残しておきたいと思うような風景となる。 日本全国何処にでもあるだろう風景でも背景がわが町の山、となると俄然シャッターを押したくなるのだ。

雪の日の午前

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1月25日の冷え込んだ朝、前日からの雪が少し残っている中を追い打ちをかけるように降り出した。 2018年01月25日撮影-1 2018年01月25日撮影-2 2018年01月25日撮影-3 2018年01月25日撮影-4  カメラを片手に向った先はやはり「久原橋」と「三隅川橋梁」のある風景がとれる場所。 「鉄橋」や「橋」、または「集落」や「家並み」という人工の建造物と自然界の「川」や「山」とでコラボレートされた風景は本当に美しいと思う。 そういえば三隅支所(三隅保健センター)の雪景色は撮ったことがない、と思い行ってみたら「山口県知事選挙」の期日前投票をやっていた。 2018年01月25日撮影-5 足跡の無い正面玄関前と灰色の空がとっても寂しく感じたのだった。 実はこの日の午後、晴れ間が出だして気温が少し上がってきた。同じ日付と思えない風景が目に映ったのだ。 ということで次回は「雪の日の午後」にしようかな。

極楽寺(野波瀬)の石段

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野波瀬の極楽寺にお参りする時の石段下に施工の碑が残っている。 2014年12月15日撮影-1 2014年12月15日撮影-2  「昭和五年十二月」と彫られている。 88年前 の1930年12月のことだ。 この施工碑が植えられた時の様相や時代を考えてみると・・・ 自分の両親も生まれていないこの時代、三隅はまだ「 三隅村 」という村で 野波瀬浦 の大きな出来事だったに違いない。 職人さんが石を加工して文字を彫って石段の石に並べて建てる、という姿を想像して碑を触ってみた。 さらに当時の日本の世相や様相を知るために手持ちの資料を読んでみた。 テレビはもちろん無い時代でラジオ放送が東京で始まったばかりの頃だ。ラジオ自体もほとんどの家庭には無かったと思われる。 日本の総人口が約6444万人でラジオの契約件数が約73万件となっている。 (ラジオを聴くのも契約が必要だった?) この年の三隅村の人口は国税調査によると7674人で世帯数は1451戸と記録されている。(第3回国勢調査?) 昭和5年11月には当時の首相、浜口雄幸が東京駅で特急つばめに乗り込もうとした寸前に狙撃された事件が起こっているが三隅村では村役場がそのことを伝える手段があったのか、とか考えてしまった。 2015年01月10日撮影 2015年01月20日撮影 上の狭い路地は当時から水路があったのか?とか古い石垣やレンガ塀は当時のものか、などを考えて今と違った風景を想像する。 【後記】 浜口雄幸首相が乗り込もうとした「 特急つばめ 」はその前の月の10月1日に誕生したばかりの 蒸気機関車の特急 で、東京駅と神戸駅を往復したと記されている。 東京、大阪間を8時間20分で結んだこの特急は、臨時列車も登場するほど連日満席であったと書かれている。 昭和39年の新幹線の登場とともに在来線特急は大衆化し、昭和50年に引退した。

道具の使い道

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昨年、有線テレビみすみ(三隅公民館の裏)の横で学校などがグラウンドで使用する古い「 朝礼台 」を見つけた。 最初は置き場所に困って空き地に放置しているのだろう、と思っていたが先日通りかかったときに「はっ!」と気がついた。 (三隅中学校のグラウンドがすぐ横にあるために最初は気がつかなかった。) 2017年10月27日撮影-1 2017年10月27日撮影-2 上の2枚の写真は朝礼台を見つけて何気なく撮った写真である。 下の写真は先日通りかかった時のものだ。 2018年01月22日撮影-1 よく見ると土嚢(どのう)ステーションの横にさりげなく置いてあるのだ。そして駐車スペースに隣接している。 そうか、土嚢を作ってトラックなどに積み込むための踏み台として置いてあるわけだ。(違っていたらちょっと恥ずかしい。) 土嚢を作りに来た方はみんな知っていることだろうと思うが、ぼんやり眺めていると気がつかない。 朝礼台としては第二の人生というか使われ方をしているわけで、処分されることを思うと立派に役目を果たしている。 下の写真はすぐ隣の三隅中学校グラウンドの横に置いてある朝礼台で、こちらは現役のものだと思う。 2018年01月22日撮影-2 【後記】 「朝礼台」というのはたぶん正式名で、校長先生などが朝礼で挨拶をする台座だと思うが、自分の中では運動会の開会式や閉会式のときの挨拶台のイメージが強い。学校での「朝礼」という習慣は記憶にないのだがやっている学校はあるのだろうか? 道具一つでいろいろな想い出が頭を巡る歳になってしまった。

「カワアイサ」もいた!

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先日、三隅川の汽水域で発見した「ウミアイサ」に続き、今度は「 カワアイサ 」を発見した。遠くてツガイかどうかわからないが2匹で川面を上っていた。 下の写真の白い奴だ。 2018年01月21日撮影-1 部分拡大-1 こちらの写真はもっと遠くて分かりづらいが1匹で川を上っていた。 2018年01月21日撮影-2 部分拡大-2 本当に 望遠レンズがほしい と思うことが多くなった。しかしもっと欲しいものがあるので今は我慢しよう。 同じ日にマガモとオオバンが割と近くで撮影できた。 2018年01月21日撮影-3  そして帰り道にはいつもの場所にノスリが待ち構えていた。 2018年01月21日撮影-4 いつも同じ場所で待ち構えていて、私と目が合っても逃げないのでなんだか愛着が湧いてきた。かわいい奴だ! ところで「ウミアイサ」や「カワアイサ」というカモの仲間はとても警戒心が強いらしくなかなか人に近寄ってくれない鳥のようだ。 「アイサ」という名前の鳥がいること自体があまり聞きなれないと思う。 興味のある方はネットで検索してぜひとも拡大された画像を見てほしい。 とっても愛嬌のある顔をしている。

9年後の姿

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昨日の 白糸の滝 のことの続きになるが、 滝の近くに 夫婦(めおと)の河童 がいらっしゃるのだが何かの謂れがあるのだろうか・・・ まずは2009年の夏の御姿。 2009年08月26日撮影-1 2009年08月26日撮影-2 そして今年2018年の御姿。 2018年01月20日撮影-1 2018年01月20日撮影-2 お肌の苔の生え方がとってもいい。お日様のあたり具合で生え方に違いが出たようだが、夜出会うとちょっと怖いかもしれない。 ところで・・・ 「河童」で思い出すのが私の場合、東京の上野の近くにある「 かっぱ橋 」という名のついた商店街( 道具街 )のことだが、 2008年08月05日撮影 本来「 合羽橋 」という地名なのだがいつの間にか「合羽」が「河童」に差し替えられたようなイメージがする場所で2008年に訪れた時に上の写真のような像まで建っていた。2003年頃に建てられたと聞いたが商店街のシンボルとしてはちょっと面白く感じた。 おんかっぱやそわか・・・

白糸の滝にて

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2009年の夏に秋芳町にある「白糸の滝」に行ったときのこと。 行った理由が後日に県外のお客さんを連れて行くための下見なのだが、とっても涼しくて気持ちの良い森林浴をしたような気分になったことを覚えている。 2009年08月26日撮影-1 2009年08月26日撮影-2 2009年08月26日撮影-3  私はこれらのような特定の時期や季節しか見れない看板や設備が結構好きで被写体としてよく選んでいる。 2009年08月26日撮影-4 2009年08月26日撮影-5 2009年08月26日撮影-6 この時に知り合いの家電屋さんの言葉を思い出した。 「最近の電化製品はマイナスイオンが出るって言ってるけどこの田舎ではこれ以上のマイナスイオンはいらんよね!」 その後何度か訪れたが、冬場に来たことが無かったので先日空いた時間に行ってみた。 (別の目的があってついでに行ってみたのだがけっこう楽しめた。) 2018年01月20日撮影-1 2018年01月20日撮影-2  冬場なので寒くはあったが気持ちは良かった。 2018年01月20日撮影-3 2018年01月20日撮影-4 最後の写真はちょっとびっくりした。 お知らせの看板の「今年から・・・・・」の 今年 というのはいつのことだろうか? 【後記】 2009年の夏、7月21日から22日にかけて三隅地区に集中豪雨(最近で言うゲリラ豪雨)が発生してかなりの被害が発生した。 さらにこれらの写真を撮った前日の8月25日にやはり集中豪雨と落雷で我が家もかなりの電化製品がダメージを受けた。白糸の滝に下見にいった理由がこれだったように記憶している。 忘れようにも忘れられない嫌な夏だった。

野波瀬の大歳社

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昨年の師走になったばかりの日に久しぶりに野波瀬の「大歳(おおとし)さま」に行った。 2017年12月01日撮影-1 2017年12月01日撮影-2 2017年12月01日撮影-3 2017年12月01日撮影-4 2017年12月01日撮影-5  大歳さまに行く道は昔から変わらない。 2017年12月01日撮影-6 2017年12月01日撮影-7  正面の石垣が大歳社の擁壁。 歩いてみて感じたことが・・・ 正直なところ、大歳社よりこの 道並み 、あるいは 家並み の方が私の場合琴線に触れるところが大きく、幼少期の想い出と共に 風景 が目に飛び込んできた。 下の写真は帰りに寄った同じく野波瀬の「厄神さま」の写真。 2017年12月01日撮影-8 2017年12月01日撮影-9 厄神さまはその名のとおり「病魔退散」を願って祀られた社で、大歳さまは「五穀豊穣」、「大漁」を願って祀られた社である。 よって野波瀬は怖いものなしなのだ。 以前に書き込んだ「みかん相撲」の土俵が無くなっていた。