極楽寺(野波瀬)の石段

野波瀬の極楽寺にお参りする時の石段下に施工の碑が残っている。

2014年12月15日撮影-1

2014年12月15日撮影-2
 「昭和五年十二月」と彫られている。88年前の1930年12月のことだ。

この施工碑が植えられた時の様相や時代を考えてみると・・・

自分の両親も生まれていないこの時代、三隅はまだ「三隅村」という村で野波瀬浦の大きな出来事だったに違いない。

職人さんが石を加工して文字を彫って石段の石に並べて建てる、という姿を想像して碑を触ってみた。

さらに当時の日本の世相や様相を知るために手持ちの資料を読んでみた。
テレビはもちろん無い時代でラジオ放送が東京で始まったばかりの頃だ。ラジオ自体もほとんどの家庭には無かったと思われる。
日本の総人口が約6444万人でラジオの契約件数が約73万件となっている。(ラジオを聴くのも契約が必要だった?)


この年の三隅村の人口は国税調査によると7674人で世帯数は1451戸と記録されている。(第3回国勢調査?)

昭和5年11月には当時の首相、浜口雄幸が東京駅で特急つばめに乗り込もうとした寸前に狙撃された事件が起こっているが三隅村では村役場がそのことを伝える手段があったのか、とか考えてしまった。


2015年01月10日撮影

2015年01月20日撮影
上の狭い路地は当時から水路があったのか?とか古い石垣やレンガ塀は当時のものか、などを考えて今と違った風景を想像する。

【後記】
浜口雄幸首相が乗り込もうとした「特急つばめ」はその前の月の10月1日に誕生したばかりの蒸気機関車の特急で、東京駅と神戸駅を往復したと記されている。

東京、大阪間を8時間20分で結んだこの特急は、臨時列車も登場するほど連日満席であったと書かれている。
昭和39年の新幹線の登場とともに在来線特急は大衆化し、昭和50年に引退した。



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