新幹線「小郡駅」のこと

1975年(昭和50年)3月に山陽新幹線が全線開業して約43年が経過した。

その後2003年(平成15年)10月1日に小郡駅が「新山口駅」と改名され、同時に1日に上下4本程度?の「のぞみ号」が停車するようになった。
それまでは「ひかり号」と「こだま号」しか停車しなかったのだが駅名を変える代わりにのぞみ号を停車させて欲しい、との当時の地元の願望をJR側が聞き入れたような話を聞いたことが記憶に残っている。


当時の駅名表示板

チケット袋
最初ののぞみ号はたしか300系で上の写真のチケット袋に写っているタイプのもので時速270kmの営業運転を売りにしていた。
その後500系のぞみ号が出来て時速300kmの営業運転をスタートさせた。山口県にはのぞみ号の停車する駅は無かった頃の話だ。


そういえば隣の新下関駅も新幹線が開通するまでは山陽本線「長門一宮(ながといちのみや)駅」と言っていた。
出来た当時は下関駅から離れていて地元以外は不便だと思い込み、利用者が居るのか心配をした。
「新」と名の付く駅は基本的に過去は違った名前が多い。
(ちなみに「新岩国駅」は新設の駅だったと思う。)


未だに同世代以上の人には「小郡」と言い、若い世代には「新山口」という使い分けをしている自分がいる。
慣れ親しんだ名前が変わることの遣る瀬無さや一抹の不安感は自分の老化のせいか、と思ったことが何度かある。会社の名前が変わったり、住所が変わったりすることの様々な影響や意義を乗り越えて人々は生活をしている。

あれから年月が経ち新幹線も日本全国に拡がり北海道(新函館北斗駅)まで延びて行った。在来線も鉄道ブーム?に乗っかかり様々な観光列車や特急列車が行きかうようになった。テレビ等による秘境駅の紹介で人家の無いような路線まで鉄道ファンや観光客が乗り入れるようになった。さらにはもうすぐリニアモーターカーも営業運転をする勢いだ。

出来ることなら日本の鉄道を造ってきた故人達にこれらの変貌を見せたいと思うことが屡々ある。
この話はまた後日に続きを書き残そうと思っている。



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