三隅町の頃の地図

先日、土手や市の道を歩いていて、自分が明倫小学校や三隅中学校に通っていた頃の記憶と現状にかなりの誤差が生じていることに気づいた。

家並みの違いだけでなく道路の状態や地図上の位置が記憶とずれがあることに気付き、現在の地図を元にして記憶を頼りに三隅町の頃の地図を描いてみた。
(描く、といっても作業効率を高めるためにパソコンのアプリケーションを利用して描いたわけで手作り感と時代性に欠けることが気になるが今回は「良し」としよう。)

三隅町の頃の中心地
地図の基本は「川」と「道」で、それに加えて高低差(特に「山」)を加えるととってもわかりやすくなる。

地図を描きながら思ったことは・・・
昔の人々はなぜここに「〇〇」を造ったのだろうか?という疑問と想像だ。

「〇〇」に当てはまるものは役場や公民館、学校等々の施設やもっと遡ると鉄道や橋、さらには住宅地や田畑などなぜこの位置に出来たのか、を考えながら見ると地図はとっても楽しい資料となりえる。

この地図に過去のものを含めて「お店」や「旅館」などを書き入れて行くと当時の人々の生活の様子や気配が伺えるようになる。

天候の良い日に過去の形跡を求めてもう一度歩いてみようと思っている。メモ帳カメラとこの自家製地図を持っていくつもりだ。


コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

アトラス長門の記憶