昭和の長門三隅駅 続編

昭和47年~48年の頃の長門三隅駅が、私にとって一番想い出の多い時期なのだが最近の写真で記憶を辿ってみる。

2014年に撮影した写真を元に説明書きを記録しておく。

2014年06月29日撮影-1
上の写真の跨線橋(線路の上の通路)は当時無かった代わりに、線路内に降りていく通路があった。写真で見ると微かに降り口のコンクリートの色が違っている。(通路を撤去してホームの縁を埋めた跡)


下の写真は跨線橋から長門市駅方面に向いて撮影したもの。
2014年06月29日撮影-2
3番線があった頃に、長門市から来た列車が1番線に到着し、駅構内で入れ替えをして3番線に着けて、先頭の機動車だけがまた入れ替えをして長門市方に付け替えて、そのまま夜間留置をして次の日に長門市に向けて出発していた時代もあったと記憶している。



下の写真は長門三隅駅ではないが、通路のイメージ。
通路のイメージ


下の写真は跨線橋から飯井駅方面(萩方面)に向いて撮影したもの。
2014年06月29日撮影-3

2014年06月29日撮影-4
2・3番線のホーム上の待合室があった位置に、違った色のアスファルトが張ってあり明確に場所がわかる。
3番線のあった場所は写真を見てわかる通り雑草が茂っていて、まったく名残がない状態。レール自体も撤去されている。


2014年06月29日撮影-5
以前にも書き込んだが、昭和40年前後から三隅町で「夏柑」の栽培が盛んに行われ、ここから貨物列車で出荷するほど栄えた時もあったようだ。(上の写真のすぐ右側が現在の保材線。)


ここから汽車に乗って長門市や萩の町にレコードを漁りに行っていたわけだが、そのレコード店も今はすべて無くなった。

今度はレコード店の話を書き留めておこうと思う。

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