大正13年の三隅村のこと~その4

今回は旅館・割烹・仕出し関係の広告だけをまとめてみた。


土手-1
「一〇旅館事」は何と読むのだろうか?

御中食(おちゅうじき)という言葉がなんとも大正時代的で趣がある。

土手に旅館があったことより写真に自動車が写っていることに驚いた。
昭和になるまで三隅には自動車が無かったと勝手に思っていたがそうではない様子。



豊原-1

豊原-2
河内旅館の前身か?「長惣」さんの後にも「事」がついている。これはいったい何と読みどういった意味だろうか?



沢江-1
「光風樓」が旅館の名前だろう。なんとも雅な名前だ。沢江のどのあたりに在ったものか?



豊原-3
原川旅館の前身か? 当時の人々の気配が感じられてちょっと楽しくなる広告ばかりだ。



土手-2
 土手の郵便局前となっているから場所が特定できる。
川魚・鮎・鰻・其の他となっているのですぐ裏の三隅川で獲ったものかけっこう川漁師さんが居たと聞いたこともある。



沢江-2
こちらも沢江にあった旅館でやはり「樓」という命名がされている。物見やぐらのようなイメージの漢字だが、高台の旅館又は旅館の2階から仙崎湾(沢江湾)を見下ろすような旅館であったに違いない。優雅さを感じる。


広告自体が文学的で当時の文化や様相をしっかりと感じられる。

とってもとっても貴重な資料だと思う。




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