2018年3月2日金曜日

大正13年の三隅村のこと~その5

連日書き続けている貴重な小冊子の中の写真に「三隅村役場附近」と書かれた写真がある。

冊子中の写真
久原地区の高台(久原山中腹)から撮影したものだと推測するが、当時の写真というのはとても貴重で高価なものだったと思う。

背景に権現山が薄っすらと映りこんでいる。



部分拡大
拡大して見てもどれが「三隅村役場」なのかわからないが民家らしくない建屋がそれだと判断した。川沿いの2階建建造物は昨日書いた旅館かもしれない。
それよりもびっくりしたのが建設中の美禰線(現山陰本線)の三隅川橋梁が写っていたことだ。橋脚が出来ているので間違いないはずだ。
向こう側に旧明倫小学校の平屋建て木造校舎が望める位置だ。


平成の頃(Yahoo航空写真を借用)
上の現状に近い航空写真は大正13年と比べ安いように南を上側に回転したものだが、微妙に様相が違うのは過去の台風等による三隅川の氾濫によって家屋等が破壊されたり土手の決壊に因るものだと判断する。

今年から数えて94年前(大正13年は西暦1924年)の写真が残っていたことに感動した。(戦火をくぐって地元に残してくれていた先人たちに感謝!)




0 件のコメント:

コメントを投稿

「帰ル堤」のこと

 長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらし...