「特急まつかぜ」の記事

これまでに何度か書いてきた「特急まつかぜ号」のことだが、古い長門市広報にて「まつかぜ」の記事を見つけたので書き残しておこうと思う。

長門市広報の切り抜き

昭和39年(1964年)3月20日から正式運行、と書かれているこの年は、東海道新幹線が開業(10/1)した年でもあり東京オリンピックが開催(10/10)された年のことでもある。

上り京都行が10:55長門市駅に到着、とあるが後継の特急いそかぜ号も似たような時刻だったと記憶している。

この記事の写真はたぶん当日のものだと思うが、長門市駅1番線に到着した停車中の機体だったら私のイメージしたまつかぜ号よりかなり編成が短いのだ。
わたしの記憶の中にあるその少し後のまつかぜ号は9両編成や8両編成のもので、この写真の停止位置からすると長くても6両編成程度にしか見えない。残りの車両はホームからはみ出したまま有効長ぎりぎりで停止していたのかも知れない。
(当日は雨天のようで、開通行事を行うために臨時的に屋根のある位置に先頭を合わせて停車したことも考えられる?)

この時代のまつかぜ号は京都から博多まで九州へ乗り入れて、13時間30分程度をかけて山陰本線から鹿児島本線へと走りぬいていた。今となっては考えられない寝台特急列車に匹敵する長距離運行の特急列車だ。

色合いやその姿が格好良くて昭和40年代初期の小学生の私には別世界の乗り物に見えた。(まつかぜ号の写真を残したいのだが手元にない。残念!)
新幹線が「夢の超特急」ならまつかぜ号は「夢の特急」だった。その夢の特急が三隅町を通過していたわけだ。

その面影や想い出をトワイライトエクスプレス瑞風に求めたが別物だった。これ(瑞風)はこれで新しい想い出が出来たのだが、ローカル線とはいえ鉄道の通っている町に生まれ育ったことは自分にとって大きな要素となっていることは間違いない。

[後記]
東京オリンピックが開幕した昭和39年10月10日より3週間程度前に羽田空港と浜松町を結ぶ「東京モノレール」が開業している。

当時の私の感覚は「東京」自体がとっても遠い外国のような存在で、ましてや新幹線やモノレールと言った言葉も少年雑誌(少年画報や冒険王)などで知った別世界のものであった。
そんな時代に現物を見ることができる「特急まつかぜ号」は輝いて見えた、というのは大げさではないと思う。
(但し私は鉄道マニアではない。)

コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

アトラス長門の記憶