2019年1月21日月曜日

養鰻場の記憶

自分が小学生だったころ、三隅町にウナギの養殖場が出来たことを知って探しに行った記憶がある。歩いて行ったか自転車で行ったのかは覚えていないがとっても遠くに行ったような感覚だけが残っている。
当時、明倫小学校に通っていた自分が浅田小学校の校区に入ること自体が未知との遭遇であり、知らない町に入っていくイメージが強かった。

昭和40年4月 広報みすみ より

この記事にある養鰻場が探しに行った場所のことかどうか分からないが記憶の中では開作地区のどこかだったようなイメージを持っていた。

2012年11月16日撮影-1
 まったく場所が違っていた。


2012年11月16日撮影-2

2012年11月16日撮影-3
昭和37年頃に小島漁協が鰻の養殖場の建設計画を打ち出していたようで実際は昭和40年(1965年)頃に出来たようだ。
ということは自分が探しに行ったのはそれよりずーと後のことだ。本当に自分の記憶はあてにならないことを痛感する。

この養殖場は記憶の中ではたくさんの水車が回っていてもっと広々とした場所だったことになっている。どこかとオーバーラッピングしているのかもしれない。

ところで記事を読んでみると鰻だけでなく鰌(ドジョウ)にも手を出していたようだ。まったく知らなかったがそれにしても小島漁協は素晴らしい開拓者だ。真珠の養殖や海苔の養殖とフロンティア精神満載だ。

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