「さようならSL」の頃

今から44年前の昭和50年1月12日(日)のこと。
長門市駅から下関駅に向けてD51蒸気機関車が走った。

長門市広報より

この記事のとおり本州からSLが消え去ったのは1974年(昭和49年)11月30日だが、昭和50年1月12日に「さよならSL」というイベントが開催され、D51が長門市駅から下関駅まで運転された。
下の画像はその時の映像の一コマだ。

1975年1月12日-1

当時の長門機関区を背景にしたD51。
1975年1月12日-2

1975年1月12日-3
今は跡形もなく撤去された長門市駅の転車台が現役で使用されていた頃の貴重なカット。扇形庫に向けて入っていく前に転車台に乗る。

私の釣りの師匠でもあった母方の伯父(すでに亡くなった)がこのSLを運転していたこともあって、竿を並べながらこの当時のことの話をよく聞かされた。映像や画像を見るとその伯父のことばかりを思い出す。愛すべき国鉄マンであった。

その昔国鉄の分割民営化が叫ばれる前の時代(「累積赤字」という言葉も知らない時代)、自分の周りの大人たちが長門市駅のことを「正明(しょうみょう)駅」と言っていたため、自分もそれに倣っていた。
その当時の長門市駅はとにかくたくさんの人がいて、駅構内にとっても長い編成の列車がたくさん並んでいた。当然貨物列車もいて駅の上空には黒煙が漂々と漂っていた。扇形車庫の向こう側には国鉄官舎が立ち並び線路を渡って物資部に買い物に行く家族たちをよく見かけた。
生き生きとした表現?をしたが、記憶のイメージは白黒の世界で「汽車」と「黒煙・ばい煙」と「線路」とが辺りの家々を巻き込んで独特の風景を造り出していた。さらにホーム上ではカンカン部隊の残り香か、生臭い匂いがずーっと残っていて石炭の燃えカスや蒸気の匂いと混ざって独特の臭いを醸し出す。
そのようなモノクロの世界で人々は働いていた。本当によく働いていた。

コメント

  1. はじめまして、国鉄物資部、懐かしい響きですね、祖父が長門機関区に勤務していたので、長門市に買い物に出た際は、祖母に連れられ、その物資部で買い物をした記憶があります。今のステーションホテルと南口に向かう陸橋の間のから入っていったと記憶してます、懐かしいですね。

    返信削除
    返信
    1. 書き込みがあったことに気が付きませんでした。ごめんなさい。
      そしてありがとうございます。すごく嬉しく思っています。

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

山口福祉専門学校の桜