地形図から見る長門三隅駅

大正13年に開業した長門三隅駅は、その設置位置を巡って村内でもめたことがあったようだ。

国土地理院 地形図を利用-1
候補地は下記の3か所だったらしい。
  • 市(もし市に出来ていたらこんな感じか、というルートを点線で描いてみた)
  • 豊原
  • 沢江

当時の鉄道院の技官が現地調査した結果、市は当時は生島に向けて急こう配だったらしく駅の設置には不適当であるとされ、沢江は正明市に近すぎるため不適当とされ、結局豊原に決まったらしい。

但し今の駅がある場所は標高60m程度の小山の丘陵地にあって元々は豊原墓地があったとされた場所だ。その墓地を西側に移転することによって駅を構築していったらしい。なんとも大胆な計画を立てたものだ。
その小山の中を今は三隅バイパス(国道191号)が豊原トンネルとして貫いている。
現在の豊原墓地の辺り

広田エリアの美しいカーブより三隅川を渡る鉄橋と続き素晴らしい地形となって残されている。
国土地理院 地形図を利用-2

大正13年開業当時の長門三隅駅


2014年10月19日撮影-1
駅舎の向こう側に見える小山が豊原トンネルの通っている山だ。
そしてこの山は二条窪の岳の山へと続く。


2014年10月19日撮影-2

2014年10月19日撮影-3
以前(昭和の終わり頃まで)は3番線まで在り上下の待機列車が止まっていたりした。つまり3番線から萩方、長門市方の両方に出発出来ていた。
夜間に3番線に留置された列車で高校に通っていた方もいると思うが始発列車がいた時代もあったわけだ。

この続きはまたいつか書き込むことにしよう。

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