中原篷女史出生の地
三隅町豊原の中原医院跡地の近くに「中原篷出生の地」という石柱が建植された場所がある。
余計なものが置いてある(廃棄物状態)ためにせっかくの素晴らしい風景となるはずの門や石畳が死んでくる。(そちらに目が行ってしまう。)
訪ねてこられた方ががっかりするのでは?と思いながらシャッターを切った。
場所としては宗善寺さんの裏手になる。
[参考]
中原篷(なかはらとま):明治6年に三隅町豊原で生まれ、3歳の時に両親とともに群馬県前橋に移り、明治22年前橋英学校卒業後、医師を目指して上京し東京医学専門学校済生学舎に入学。卒業した翌年に「医術開業免状」を授与されると生まれ故郷の三隅町に帰り開業医となった。山口県下で最初の女医であった。
風景、又は景色というものは人それぞれ感じ方や受け取り方が違っていて当然だが寂れた風景も味わい深い風景となることがある。
しかしながらそこに在ってはならない物が一つあるだけで全体がだめになってしまうことが往々にしてある。
・・・このようなことを感じてしまった。
2019年01月18日撮影-1 |
2019年01月18日撮影-2 |
場所としては宗善寺さんの裏手になる。
2019年01月18日撮影-3 |
[参考]
中原篷(なかはらとま):明治6年に三隅町豊原で生まれ、3歳の時に両親とともに群馬県前橋に移り、明治22年前橋英学校卒業後、医師を目指して上京し東京医学専門学校済生学舎に入学。卒業した翌年に「医術開業免状」を授与されると生まれ故郷の三隅町に帰り開業医となった。山口県下で最初の女医であった。
風景、又は景色というものは人それぞれ感じ方や受け取り方が違っていて当然だが寂れた風景も味わい深い風景となることがある。
しかしながらそこに在ってはならない物が一つあるだけで全体がだめになってしまうことが往々にしてある。
・・・このようなことを感じてしまった。
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