野波瀬の疫神様のこと

これまでに何度か書き残した野波瀬の「疫神様(やくじんさま)」のこと。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃に疫神様でシイの実を拾ったりして遊んでいたことを思い出した。

2020年01月02日撮影-1

2020年01月02日撮影-2

2020年01月02日撮影-3
 社の横をすり抜けて山に入る。
子どもの時分、実はここから山に入ってシイの実を採っていた。懐かしくなったので裏山へと上がってみた。


2020年01月02日撮影-4
 ほとんど手入れがされた様子が無いのでかなり荒れた山になっていた。

2020年01月02日撮影-5
 昔、この辺りでニッケイの木を見つけて根っこを掘って削り取っていたことも思い出した。木に登ってシイの実がたくさん付いた枝をゆすぶっていたことも思い出した。
2020年01月02日撮影-6
 しかしこんなに薮になっているとは思わなかった。
幼少の頃の思い出が単に美化されていたのかもしれないが、本当に遊べない山になっていた。

2020年01月02日撮影-7

2020年01月02日撮影-8


 今は疫神様の裏山は削られて県道285号野波瀬港線が通っている。
2020年01月02日撮影-9
今年2020年(令和2年)も東京オリンピックの開催年だ。
あれから56年の年月が経ってしまった。
半世紀以上も経って同じ場所に居ることが不思議な感覚に思える。そして当然の事?だが野波瀬の風景は随分と変わってしまった。


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