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1月, 2017の投稿を表示しています

真冬の湯免プール

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湯免にプールが出来たのは昭和40年(1965年)の6月頃だが、実際にこのプールで泳いだ記憶があるのはそれから5年後のことだ。 実際は小学生の頃の体育の時間に泳いでいるのだろうが、ほとんど記憶にない。 一番の思い出は中学生の頃、友達と野波瀬の松島に泳ぎに行って濡れた海水パンツのまま自転車で湯免プールに行き、潮抜きがてらプールに浸かっていた。 今ではこんなことをすると入り口でストップされるのだろうが、おおらかな時代だったのかもしれない。   先日の晴れた日に、真冬の風景を撮影してみた。 2017年01月28日撮影-1 2017年01月28日撮影-2 2017年01月28日撮影-3 52年が経っているプールが現役?なのは素晴らしい。 9年前に撮影した写真があったので2枚ほどアップ。風景はほとんど変わっていない。 2008年09月22日撮影-1 2008年09月22日撮影-2

トレセンの中の設計事務所

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三隅公民館が中にある「三隅農業者トレーニングセンター」(略称・トレセン)の入り口のガラス張りのドアに写り込んだ、久原のシンボル的な建物を発見する。 2017年01月28日撮影-1 2017年01月28日撮影-2 拡大してよーく見ると山陰本線の三隅踏切の名称板も見られる。 2017年01月28日撮影-3 「三隅農業者トレーニングセンター」 この建物は昭和55年(1980年)に開設されたもので、ほぼ同時に三隅町中央保育所が旧三隅町公民館の建物を利用してスタートしている。 私たちの世代の方は、ここで結婚式をされた方もいらっしゃると思う。もうすぐ37歳を迎える建物です。

公衆電話のある風景その3

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先日アップした沢江の「公衆電話のある風景」の公衆電話の位置が遠すぎたため、今回は接近して撮影してみた。 2017年01月28日撮影-1  やはり晴れた日の沢江の風景はとってもきれいである。 湯免ふれあいセンターの前にも豪華な公衆電話ボックスがあった。 車いすでも大丈夫?なほど大きい。 そのためか、電話機の位置が低い。 2017年01月28日撮影-2 湯免の風景で、この「湯免ふれあいセンター」が出来る前に、ここに何があったのか、まったく思い出せない。子どもの頃の夏休みに、毎日のように隣の湯免プールに来ていたが、記憶から削除されている。ひょっとしたら畑か低い山があっただけなのか?

変わってきた町の風景その3

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豊原地区に次いで野波瀬地区も変わってきている。 記録として残しておきたいのでここにアップ。 2016年12月02日撮影-1 以前にアップした写真だが、昨年から地蔵崎の斜面の地すべり?対策の工事をされていて、野波瀬港西の風景が変わってきている。 2016年12月02日撮影-2 近場で撮影した写真も紹介。 2017年01月18日撮影 おかざきの雰囲気が変わってきた。赤いひさしが無くなって、向こう側の倉庫(車庫?)が撤去されていた。 2012年08月18日撮影

郵便局の想いで

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中学生になったころから漫画雑誌の広告の影響?で切手収集に凝ってしまい、ストックブックが大切な宝物だった時代があった。(ラジオやレコードにも凝っていたのでとっても忙しかった記憶がある。) 基本的には収集を始めた頃より以前に発行された切手がほしいわけだが、記念切手の発売があるたびに郵便局に行って(並んで)1枚か2枚の切手を買いあさっていた。(本音は1シートと1枚を買いたかったが中学生の小遣いでは無理!) その頃によく通っていた郵便局の建物が今も残っている。(入り口横に郵便受けがあるので民家となっている様子) 2017年01月25日撮影 入り口の様子が当時の記憶のままで、通るたびに懐かしく思う。 入り口上の軒(ひさし?)と横の配達用のカブの車庫が郵便局らしい面影を残している。 切手雑誌の切り抜き 切手を集めることで、色々なことを覚えて行った。特に好きだった切手やシリーズをいくつか紹介すると、 国際文通週間の東海道五十三次シリーズ 切手趣味週間の浮世絵シリーズ 花シリーズ 鳥シリーズ 魚(魚介)シリーズ 霊峰不二(横山大観作・霊峰飛鶴) 開通記念切手(若戸大橋開通や東海道新幹線開通) 国宝シリーズ 等々たくさんあるが東海道五十三次では「蒲原」が好きで、浮世絵シリーズでは「ビードロを吹く娘」が良い。 「百済観音」や「弥勒菩薩」も最初は切手で知った。 その他色んなこと(知識)を切手から知っていった。 ところで「東海道五十三次」というと私は「永谷園」のお茶漬けの素を連想するが、いつかここで紹介することにする。 2009年に撮影した現在の郵便局の写真をついでにアップ。 2009年09月20日撮影-1 2009年09月20日撮影-2 茶色の自販機が珍しいので撮影。

沢江から見る白潟

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沢江や小島から展望する白潟や仙崎の眺めがとてもきれいな日がある。 普段より少しだけ大きいサイズでアップ。 2016年05月18日撮影-1 2016年05月18日撮影-2 2016年05月20日撮影 仙崎に沈む夕日が三隅川河口に映える。とても美しいと思う。 写真撮影の技術はないがカメラの性能が良いため、たまたまきれいな写真が撮れることがある。 今後いくつか載せていくことにする。

変わってきた町の風景その2

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前回に続いて豊原の風景。 2008年05月06日撮影 以前アップした画像だが、長門三隅駅前のとってもすきな風景。 2014年10月19日撮影 駅に降り立った時に安心感があった。 2017年01月08日撮影 今年になって、偶々通りかかったときに撮影したもの。 実は、このようになっていたことを知らなかった。びっくり! 人々に知らせることではないのだが、記録として残したい気持ちがこみあげてきたのでここにアップ。

変わってきた町の風景その1

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最近特に変わったと思う風景が何か所かある。 その1つに、豊原の旧道の大好きな辻の風景を比べてみる。 2007年5月20日頃撮影 約10年前に撮影した写真を見る。 2017年01月08日撮影 今年になって撮影した写真が上の1枚。 私は看板のある風景がとっても好きで、街に彩(いろどり)を加えてくれる。 例えば、「Coca Cola(コカコーラ)」や「ヤマザキパン」、「ボンカレー」、お店の名前が入った「ラーメン〇〇」、「〇〇クリーニング」、「〇〇商店」などの看板があるだけで好きな風景になってくる。 勝手なことばかり言っているが、町の風景が変わるとドキッとする。 好きな場所がまだまだあるので続きは後日アップする

オレンジカードのこと

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先日アップした、20年以上開けていない箱から出てきたものに「オレンジカード」もあった。 たぶんもう磁気不良で使えない(使う場所もなくなってきている)かもしれないが、正常なら今でも使えると聞いたので、ふっと疑問が湧いてきた。 国鉄発行のオレンジカード  上の2枚のオレンジカードは、「国鉄」と書いてあるので販売者は今は存在しない。その時代の磁気カードを今使用するとどこの会社に損失(利益にはならないはず。)が現れるのだろう? (自動券売機で使用できるとしたら、金銭授受が無いのに発券したことになるのでは?) それとも国鉄発行のカードは使用できないのかも。 JR西日本発行のオレンジカード 上の2枚のオレンジカードは、「JR西日本」と書いてあるが、「小郡駅」とか「小郡車掌区」となっている。 今は「新山口駅」なので貴重なカードかもしれない。 調べてみると、SLやまぐち号は1979年8月に運転を開始しているので、「8周年」と書かれているから1987年(昭和62年)に買ったと思われる。 さらに「小郡駅」が「新山口駅」になったのは2003年(平成15年)10月1日らしいので、1975年(昭和50年)3月に山陽新幹線の岡山―博多間が開業して約28年間ほど新幹線の「小郡駅」が存在したことになる。 最初の2枚のカードのことだが、高校を卒業した頃すでに山陽新幹線が新大阪、博多間が全通しており、とても便利になってきていたが、2度ほど 寝台特急「あさかぜ」 に乗ったことがある。 初めて乗ったのは確か下関から東京で、ワクワクして山陽本線から東海道本線とずーと起きていた記憶がある。 特に印象に残っている景色は山口県の徳山から光市辺りを通過するときのコンビナート一帯のキラキラした光の群れだ。 私は鉄道マニアではないが、寝台列車から観るこの景色は絶品である。 このような過去を顧みることのできる物品を大切に保管しておくと、様々な記憶が蘇り、さらに記憶の確証を得るための調査や学習をする。楽しいことがたくさんある。

「和田の鼻」のこと

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小島漁港の先に「和田の鼻」という小さな島状の場所があるのだが、地元の方か、釣りの好きな方しか知らないかもしれない。 子どもの頃から和田の鼻のさらに向こう側の海岸に、釣りの餌に使う「地ケビ」を掘りに行っていた。餌の確保だけで、この辺り(和田の鼻)で釣りをしたことがほとんどない。 「地ケビ」とは本名イソメ(又はゴカイ)のことで、キス、ハゼ、チヌ、メジナ、カワハギ等なんでも釣れる万能餌である。 2017年01月19日撮影-1 上の写真の海の色を見ると 深そうで大物が釣れそうな雰囲気を持った場所である。 この小さな湾の中に、過去に筏(カキ筏?)がたくさん浮いていてた記憶があるのだが、今は何もない。場所が違うか、記憶間違いか? Yahoo_mapより 小学生の頃に、沢江から見る 白潟湾 にも 筏 がたくさん浮いていた記憶がある。   海面に竹がたくさん刺さっていて、その隙間に筏が浮いていて、朝霧の中を漁師さんが小さな舟を操っている 、といった風景の記憶だ。 思い込みが激しくて、記憶が錯綜していることがよくあるのだが、青海苔漁の風景か、牡蠣の養殖か?まったくわからない。当時の写真を残しておくべきだった。 今のようにデジタルカメラが無いので、カメラは父親のもので、さらにフィルムは買えないし、現像料金も必要で、安易に写真を撮ることができない時代だった。 2017年01月19日撮影-2 和田の鼻から青海島を臨む。  2017年01月19日撮影-3 和田の鼻たもとから仙崎方面を臨む。 ライン川畔のようなちょっと素敵な風景に見える。

公衆電話のある風景その2

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前回に続いて公衆電話のある風景をアップ。 2014年12月27日撮影 三隅町役場入り口横の公衆電話ボックス  2013年05月03日撮影 野波瀬魚市場入り口電話ボックス  2014年04月29日撮影 野波瀬漁協手前電話ボックス(旧ショップしらい前)  2014年06月29日撮影 長門三隅駅入り口横 電話ボックス 2015年05月05日撮影 ラーメンストアー横 電話ボックス 2017年01月19日撮影-1 華の樹食堂の横 電話ボックス 2013年06月23日撮影 浅田小学校前 商店 入り口 (ここは今は公衆電話がありません。道路の拡幅(歩道の新設)時に撤去されたものと思われる。) 2017年01月19日撮影-2 勤労者スポーツセンター入り口 電話ボックス  2016年07月23日撮影 沢江公会堂入り口付近 電話ボックス 下地区はそのほとんどが電話ボックスになっている。風の強い日や雨の日は便利だ。しかし利用している人をほとんど見たことがない。 テレフォンカードが使えるタイプなので、災害時や携帯電話会社の機械の故障時には電話ボックスの場所の把握をしておくと便利かもしれない。 子どもたちに電話のかけ方(使い方)を教える必要がありそうだ。

公衆電話のある風景その1

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最近、赤い公衆電話を見かけないが、無くなってしまったのだろうか? ほとんどがアナログ回線仕様の緑色(黄緑)で、たまにデジタル回線使用のグレー(ISDN回線?)を見かける。 赤電話、黄色電話、ピンク電話とか言っていたが、ベージュ(肌色)のような電話機もあった。 2016年10月09日撮影 滝坂の藤井商店さんの店頭にある「緑電話」  2016年06月19日撮影 宗頭の上田商店さんの店頭にある「緑電話」 2015年10月11日撮影  Rショップしのはら(現まんどや)さんにある「緑電話」 2014年01月15日撮影 ローソンの店頭にある「緑電話」 よくタバコ屋さんなどの販売窓口に設置してある 赤い電話機 が街の風景にとても良く馴染んでいて、風景の一部として記憶に残っていることがある。

役場の屋上からの景色

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2004年2月に撮影した写真に、今となっては見れない風景や建物が写り込んでいたのでここで紹介。 13年前のものだが、よく見ると今とかなり違う様子がわかる。 2004年02月12日撮影-1  中央保育所(旧三隅町公民館)だった建物がみえる。 2004年02月12日撮影-2 中央右の田村建材㈱の赤い建屋がある頃。 萩・三隅道路の終点部の道路基礎部が出来ようとしている。 2004年02月12日撮影-3  屋上から三隅八幡宮方面をうかがう。琴影橋の欄干が古い。 2004年02月12日撮影-4 中央、明倫小学校の昔の校門の前の道が舗装されていない。 左側に役場職員の方々の一時駐車場が少しだけ見える。 2004年02月12日撮影-5 三隅川下流方と久原自治会を臨む。 2004年02月12日撮影-6 役場屋上にはこんなでっかいパラボラアンテナがあった。 10年は一昔(ひとむかし)というが、「昔」という言葉は「りっしんべん(立心偏)」を付けると惜しむという感じになる。 心を立てて昔を想うと惜しくなるものが現れる。 少し前の風景がとても懐かしく感じる。 見慣れていたものが無くなると惜しく感じる。 街(町)も少しづつ進化しなければ残っていかないが「ふっ」と寂しい感情が湧くのはなぜだろう。 「 記憶 」があるだけ、と「 想い出 」がある場合と脳が違う指令を出しているのかもしれない。