川島土手から阿武川橋りょうを眺める
3年前の桜のシーズンに萩市の川島を訪れた。
いつも思うのだが大正14年に美祢線として長門市側から延伸されて少しの間だけ終着駅となった萩駅、そのすぐ後に東萩駅まで延伸されていった鉄路だが、三角州を避けるように大きく蛇行している。
大きな鉄橋(阿武川橋りょう)を1箇所建設するだけで済むように三角州帯を避けて鉄道が敷かれたというのが私の持論だが真相は分からない。
三角州帯は地盤が柔らかすぎて敷かれなかったのか、又は萩の城下町を破壊したくなかったとか色々と理由は考えられる。
しかしながらおかげ?でとっても素晴らしい風景として今に至っている。
鉄道ファンならなぜ列車が居ない?と憤慨するかもしれないが私としては「特急まつかぜ号」が走っている姿をイメージして撮影したつもりだった。 急行あきよし号でも急行さんべ号でもよいから橋梁に乗っている姿を想像したい。
そして川島の土手は桜が満開だった。
萩市中心部(国土地理院地形図より) |
大きな鉄橋(阿武川橋りょう)を1箇所建設するだけで済むように三角州帯を避けて鉄道が敷かれたというのが私の持論だが真相は分からない。
三角州帯は地盤が柔らかすぎて敷かれなかったのか、又は萩の城下町を破壊したくなかったとか色々と理由は考えられる。
しかしながらおかげ?でとっても素晴らしい風景として今に至っている。
2016年04月02日撮影-1 |
2016年04月02日撮影-2 |
2016年04月02日撮影-3 |
2016年04月02日撮影-4 |
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