大正13年の三隅村のこと~その2

三隅村の話のその2は「長門三隅驛」の開業時の話と疑問だ。

開業当時の長門三隅驛
この写真を見ると、開業当初から上下線と3番線の待機線があるように見える。駅舎の線路側にホームから線路へ降りる階段らしきものや駅舎の西には便所らしき建物、向こう側には現在の県道(旧国道191号)も少しだが写っている。ホームに佇んでいる二人の紳士?は試運転時の乗客か駅員かわからないが立派な着物を着ているように見える。
(この小冊子は大正13年10月25日印刷、大正13年11月3日発行となっているからこれらの駅の写真は開業日「11月3日」以前のものということになる。)
出来れば列車(汽車)の姿が写っていて欲しかった。

拡大図
3番線?の南側に橋げたの構造物(鉄橋の部品?)のようなものが見えるが、ひょっとしたら三隅川橋梁を作るための材料か?

駅前ロータリーの東側に建設中の2階建ての木造屋が見える。ひょっとしたら白藤医院の駅前診療所かもしれない。
市の白藤医院の広告
上の広告を見ると診療所が「駅前に建設中」と書かれているからだ。
その後、戦火による焼失か何かでもう一度道路と反対側に建設されたのかもしれない。(これは私の勝手な推測だ。)
「三隅市」と書かれた住所もびっくり!
三隅八幡宮のある「市(いち)」に在ったようだ。

1枚の写真から当時を想像すると楽しいことばかりでワクワクしてきた。

下記の文章はこの小冊子の中に紹介されている「長門三隅驛」の紹介文だ。

三隅停車場

豊原は本村の中枢部落にて、戸数二百を有す。停車場は其の西端にありて、駅前の展望甚だ佳なり。試に眼を放てば、三隅平野脚下に展開して、萬頃の田園、散布せる遠村近落、悉く一眸に集る。中央百龍の蜿々たるは三隅川にして、其の海に逸する所、三隅湾鏡の如く湛えて仙崎町の瓦甍夢の如く蒼水に浮かぶ、青海高山の秀峯は、先大津の連山と相對して、一大名画の遠景をなす。光景雄大なり。


とにかく風光明媚で真っ直ぐな線路を含めてきれいな眺めを拝めたようだ。

大正13年の11月3日に開業した「長門三隅驛」は美祢線の延伸にて完成した駅で、飯井方(萩方面)には未だ鉄道が敷かれていなかったか工事中だったかという時代だ。

開業記念の「野波瀬浦」の写真


当時の日本の情勢はというと、この6年前に第1次世界大戦が終わったばかりでたぶん軍国主義真っ只中だ。次の年(大正14年)にラジオ放送が開始されている。

驛の位置図と開業年

これらの資料から私が一番疑問に感じたことが、終着駅となった「長門三隅驛」でどのような手段で折り返し運転をしていたか、という疑問だ。
つまり蒸気機関を持った動力車をどのようにして入れ替えていたかということなのだがそのままバックしていたとは思えず、前後に動力車を付けていたとも考えらずらい。駅の先に転車台でもあったのだろうか?
もし在ったとしたらどの位置に在ったか考えてみる。

次回は表紙と最終ページのことについて書いてみる。

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