続・長門三隅駅のこと

昨年だったか、「昭和の長門三隅駅」のことを少し書き込んだが広報で興味深い記事を見つけた。

昭和50年(1975年)の暮れのこと。

昭和50年12月広報より

要旨を抜粋すると・・・
国鉄が多額の赤字を解消するため、乗降人員や貨物の発着量が少ない駅を無人駅化貨物取扱廃止を計画しており、長門三隅駅もそのようになるところを無人駅化だけは何とか関係者の努力で免れた、という記事。
但し、駅業務を国鉄職員から「日本交通観光社」に委託することになった、と書かれている。
貨物の取扱いは昭和51年1月から廃止すると最後に書かれている。


2003年01月25日撮影
 2003年の上りホームの様子



2008年05月06日撮影-1
2008年の駅舎正面の様子 



2008年05月06日撮影-2
2008年の下りホームの様子 



2008年05月06日撮影-3
2008年の駅前の様子

この記事の何に興味を持ったかというと、国鉄の「荷物取扱業務」のことだ。

知らない年代が増えていると思うが、JRは元「日本国有鉄道(略して国鉄・JNR)」という名前で民間企業ではなかったこと、さらにその国鉄が貨物(又は荷物)の取扱いをしていたという記事で「チッキ」という言葉を思い出したのだ。

この言葉の語源は知らないが、当時よく大人たちが荷物を送るときに「チッキで送っちょいて!」と言っていた。
意味も知らずに親について三隅の駅まで行って「鉄道荷札」を着けて駅留めで送っている風景を覚えている。

鉄道荷札のイメージ
今は無い駅事務室に大きな体重計のような秤があって、その上に手荷物を乗せられて料金を払っていた。
それが汽車の最後部?に連結された小さな貨物の車両の中に積まれる光景も覚えている。郵便マークの入った大きな麻袋と書籍や雑誌の束が卸されて代わりに送る手荷物が積み込まれる、という光景だ。

ちょっと懐かしい光景が頭に浮かんだ。

ところで「チッキ」とは何だろう。あえて調べずにおこう。

【参考】
「日本交通観光社」
今のJTBに似た名前だがまったく違う会社で、当時の国鉄バスの発券業務等を民間に委託する際に設立された会社でその後どうなったかは記憶にない。


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