三隅の住所区分

三隅の住所は三隅上、三隅中、三隅下の3区分で構成されている。

その区分の方法がとても変則的だ。


下の地図は、平成12年(2000年)に発刊された昭文社の地図を引用したものだが、単純に区画割りした区分ではないことが分かる。

昭文社 2000年発行 山口県都市地図より-1

おおもとは、150年以上前(江戸末期?)に萩藩が整備した「風土注進案(ふどちゅうしんあん)」というものに遡るようだが、明治になって廃藩置県が制定され、たぶんその頃に三隅上村、三隅中村、三隅下村と行政区があったようだ。その上、中、下の区分だと思うがとってもややこしいのだ。
今、夏バテで文献を調べる意欲がないので今後少しづつ調べていきます。三隅のオーソリティーに聞けばすぐに判るのかもしれないが、間違いがあっても最初は自分で調べてみたいのである。

例えば、野波瀬浦から室生一帯がなぜ三隅下なのか、とか向山は「中」と「下」の両方の住所がある。
小島や生島、津雲、飯井が「中」であるのはどうしたことか?
地形的にはとっても治めやすい形をしていると思うが、不思議な区分だと思う。

昭文社 2000年発行 山口県都市地図より-2

次回、三隅の地図に、字名(あざな)を埋め込んでみようと思う。
大字(おおあざ)とか小字(こあざ)とか言っていた住所が少し前まで使用されていた。今も便宜上使われている地域もあるようだ。

ということで次回は「現代の三隅の字名(あざな)」を記録しておく。

それにしても梅雨明け早々暑い!!!!!


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