生島の道

正確には北生島(きたいかしま)の道で、新しい県道64号が開通した後、旧道となった道のことを書いてみる。

この道は小、中学生の頃は生島に住んでいた友人の家へ遊びに行くときに通っていた道で、その後津雲を通り越して飯井の波止場等に釣りに行くときに通っていた結構なじみのある道だ。

まずは今から11年前の写真から。
2006年10月15日撮影-1
山陰本線と並行して走っている道だ。 向こうに見えるのが南生島集落。



2006年10月15日撮影-2
このいかにも林道っぽい風景が好きで何度も通った場所。


2006年10月15日撮影-3
津雲踏切の向こう側に新しい県道の工事をしている。


次にその10年後の昨年撮影した写真で記録しておく。
生島第1踏切から津雲踏切の間を順次撮っていった。
2016年12月10日撮影-1
生島第1踏切道から山陰本線の線路沿いに進んでいく。
ちなみにJR山陰本線、飯井駅~長門三隅駅間のことだ。



2016年12月10日撮影-2
この辺りまでは民家が並んでいて北生島集落の中心部だが・・・


2016年12月10日撮影-3
突然と林道のような道になっていく。釣りに行くときに明け方通ると、よくヤマバトやキジを見かけた辺りだ。
とっても印象的な道だ。


2016年12月10日撮影-4
「いこいの森」に行く道と分かれる。



2016年12月10日撮影-5

2016年12月10日撮影-6
そして津雲踏切が見えてくる。旧道はここまでだ。
 釣りの帰り道にこの踏切でよく特急いそかぜに遭遇していた。
夕刻の頃に飯井や生島で下りのいそかぜ号が通過するのを見ることが結構好きだった。

津雲踏切を渡って少しバックして生島側を振り返るとこんなに立派な道が出来ているのだ。
2016年12月10日撮影-7

生島に住んでおられる方にとってはこの旧道はとっても大切な生活道であるが両端をそれぞれ踏切で挟まれているため不便を感じることがあったのかもしれない。

今では懐かしく思える蒸気機関車の排煙や汽笛の音、あるいは落雷等による踏切故障に伴う通行止めなど数々の不便があったと思われるが、今では北生島以外の方はほとんど通行しなくなった道と思う。



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