昭和41年の頃

三隅町が「健康の町」宣言をした昭和41年(1966年)の夏のこと。
(三隅町では稲田町政が終焉を迎えるころ)

当時小学生だった私は毎週日曜日の朝がやって来ることが楽しみでしかたがなかった。それは「タケダ、タケダ、タケダーー」で始まるウルトラマンなのだ。(その前のウルトラQもそうだった。)

資料

毎週日曜日の朝10:30から始まるタケダアワーは関東エリアでは東京放送(現TBS)が日曜日の夜7:00から放送していたらしい。
ここ山口県では当時の民放はKRY山口放送のみでこちらは日本テレビ(日テレ)系列なのだ。KRYは1週間遅れで放送していたらしい。

確証はないがウルトラマンが始まった夏休みの頃に、今の県道野波瀬港線(小波橋から野波瀬へ向かう道)が全面舗装工事を施行していて、水路に並走して立てられたコンパネの破片で足にケガをした記憶が残っている。つまり昭和41年以前はこの道は舗装されておらず砂利道だったということだ。

2007年04月08日撮影-1

2007年04月08日撮影-2
上の2枚の写真は今から10年前の向山地区の県道野波瀬港線の写真。

さすがに砂利道の頃の写真は無かったが10年前でも今とかなり違う風景なのだ。若い方は、こちらの写真の方が懐かしいかもしれない。





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