昭和50年の高校3年生になった頃に山陽新幹線の岡山ー博多間が開通して就職や大学受験に小郡駅(現、新山口駅)から新幹線で行けるようになった。ひかり号とこだま号しかない頃のことだ。
これは微かな記憶だが当時、山口県立大津高校に国鉄長門市駅から職員さんが来てくれて大学受験のための切符の予約を一括でしてくれて、後日料金と引き換えに切符をもらえたという記憶があるのだがその切符(乗車券)が
硬券で、手書きで「小郡から東京23区内」と書いてあったように覚えている。そして指定席券は薄い緑色の用紙で「国鉄」と透かしのような字が書いてある切符だったと思う。
記憶違いかもしれないがこの
薄い緑色の特急券や乗車券が「
みどりの窓口」の語源になったと聞いたことがある。
そこで長門市駅の「みどりの窓口」だが・・・
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2012年06月25日撮影-1 |
過去にこの正面玄関を入ってすぐ左に「長門市駅旅行センター」と書かれたカウンター部屋があったのだがいつの間にか消え去っていた。
駅舎左手にあった国鉄時代の「小荷物扱所」も懐かしいが跡形も無くなっている。さらに過去には正明市駅前には日本通運の倉庫があったのだ。
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2012年06月25日撮影-2 |
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2012年06月25日撮影-3 |
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2012年06月25日撮影-4 |
駅舎の中(待合室など)が小ざっぱりして夕刻なのに寂しさが漂っていた。
「みどりの窓口」の看板が上の方にあり何処がその窓口なのか分かりづらい印象を持った。
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2012年12月28日撮影-1 |
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2012年12月28日撮影-2 |
下の長門市広報の切り抜きを見ると昭和49年に「みどりの窓口」が出来ているようだ。3月20日オープンの予定が4月1日に変更になっている。
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昭和49年2月?長門市広報 |
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昭和49年3月長門市広報 |
最新型の電子計算機による
座席予約装置が設置されたと書いてある。
コンピューターと書かれずに電子計算機と書かれていることが微笑ましく思う。座席予約装置というのは専門用語で「MARS(マルス)」というのだがこの当時に全国の特急などの指定席券が長門市駅で発券できることが驚異だった。
・・・次回に続く。
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