続・長門市駅と「みどりの窓口」のこと

話しは昨日の続きになるが、高校生の時に修学旅行(昭和49年で行先は京都・大阪・奈良だった)に行ったとき、まだ山陽新幹線は新大阪ー岡山間しか開通しておらず、厚狭駅か小郡駅のどちらかから山陽本線で岡山駅までL特急という昔の在来線のこだま号のような電車に乗って行き、岡山から新幹線に乗った記憶がある。

昨日の長門市広報の資料からすると長門市駅に「みどりの窓口」が出来たころに修学旅行に行っていたわけだ。1974年(昭和49年)のことである。山陽新幹線が博多まで出来ようとしていた頃に長門市駅はまだSL(D51)がぎりぎり走っていた。国鉄長門市駅に最新型の電子計算機が導入され、新幹線ひかり号の指定席が予約できる横で黒煙が上っていたわけだ。なんだか嬉しくなってしまうお話しだ。



2014年05月29日撮影
長門市駅を南側から観た風景。

下は長門市駅発行の硬券の記念切符。
平成6年6月6日の記念入場券

1.2.3の記念入場券


ところでこの座席予約装置マルスの話だが、東京都の国分寺市光町という場所にその昔「国鉄総合技術研究所(略称:技研)」という施設があり、その施設の中?の大型コンピューターが全国の鉄道車両の指定席等を賄っていたわけだが・・・


「申込から切符の出来上がるまで約15秒」と記載されている。
長門市駅から東京都の国立駅の近くまで照合して発券まで15秒なのだ。
すばらしい技術だ。

参考:技研は住所としては「東京都国分寺市光町」だが最寄り駅は「国分寺駅」ではなく「国立駅」である。
この住所の「光町」の由来がとっても好きだ。(国分寺市のホームページより)


「切符」という言葉だが今の時代は「スイカ」や「パスモ」に代表されるように電子マネー化されて「切符」という言葉が無くなってしまうのでは?と思う。入鋏バサミも見なくなったし死語になりそうだ。



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