その後の桜楓山荘

2年前の2015年、NHK大河ドラマで「花燃ゆ」が放送されていたころのこと。

前橋市文化スポーツ観光部参事=手島 仁 氏による「地域づくりと大河ドラマ」というテーマの講演や、毛利博物館顧問=小山 良昌 氏による「藩主敬親公の懐刀 楫取素彦」の講演、さらには群馬県庁の方との交流会などがあった。



それから2年の月日が経ち、徐々に楫取素彦(初代群馬県令)のことが記憶から去っていく。(老化のせいもありそうだ。)

この記憶に「残る・残らない」は、学者や関係者でない限り旬な時に少しでも関りを持ったか、そうでないかに因るものが大きい。

2015年05月25日撮影
 上の写真は大河ドラマ「花燃ゆ」が最も旬な時期に撮ったNHK山口放送局の写真。

上の写真の部分拡大

そこで2年経った今、関りを保つために、先日二条窪の「桜楓山荘跡」に行ってみた。

2017年09月14日撮影-1

2017年09月14日撮影-2

2017年09月14日撮影-3

2017年09月14日撮影-4

今の時期、収穫を控えてどこに行っても有害獣対策のフェンスや柵、又は高圧電線柵などが張り巡らされて里山の風景が台無し?になっている。しかたがないことかもしれないが、二条窪を歩いてみてそちらのこと(防護柵やフェンスなど)ばかりが目について、桜楓山荘のことが二の次になってしまった。

何とかしなくてはならないことが山積みだ。


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